そんなに嫌なら逃げてもいい。

適応障害で復帰訓練中の文系SE女子のブログです。

【適応障害で復帰訓練】不眠とワンピースと希死念慮 ー復帰訓練から約1ヶ月経ちましたー

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こんにちは。marina*(@NMarina422)です。 

 

わたしは2019年10月ごろに適応障害を発症し、3ヶ月間の休職を経験しました。

 

2020年1月中旬からは、フレックスタイムを利用した「出社訓練」をしています。

▼経緯はこちらから▼

www.marina422.com

 

復帰訓練から約1ヶ月が経ち、気がついたらもう3月になっていました。

適応障害になる前は「もう〇月か〜」と月の変わり目を気にしたり、クリスマスやバレンタインなどのイベントが楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。

ですが、最近はそういったイベントへの興味や関心もなくなり、自分のことで頭がいっぱいいっぱいになっていました。

 

さて、今回の更新も前回と比べてだいぶ間が空いてしまいました。

というのも、復帰訓練や心療内科への通院、連日のコロナウイルスの報道ばかりで精神と体調のチューニング?が合わない状態に悩まされていました。

 

前回の記事でもお伝えしましたが、このブログはわたしと同じように適応障害抑うつで苦しんでいる人の現状を知ってほしい、苦しみながらも必死で生きている人がいる事実を知ってほしい。そんな思いのもとで書いています。

 

毎日の中で感じたことや起こったことをダラダラ書く。

適応障害抑うつ状態にかかったことがない人にとっては「そんなこと書いて何が変るんだ?」と思われるかもしれません。

 

でも。

誰かが声を上げていかないと、他の誰かに何も伝わらない。

 

わたし達は、不安と緊張でできた大きな風船を背負って、毎日ビクビクしながら生きているようなものです。

風船が破れないように、慎重に歩みを進めていかないといけない。

でも、その風船は普通の人の目には見えないんです。

 

だからこそ、というよりSNSが主流になった今をチャンスに伝えていかないとダメなんだとわたしは思います。

 

例のごとく、前置きが長くなりました。

今回も体調や日常の出来事についての近況報告です。

どうか最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

 

▼前回の記事はこちら▼

www.marina422.com

 

中途覚醒に悩まされる

前回の記事では、大量の寝汗が解消された反面、夜中に目が覚めてしまう問題が出てきました。

 

いつも通りベッドに入って湯たんぽを抱えながら眠りにつく。

そこまではいいのですが、 夜中の3時や4時に必ず目が覚めるのです。

しかもウトウトしながらではなく、パチっとしっかり目が覚める。

二度寝しようにも、体が覚醒モードになってしまっているせいか、なかなか寝付くことができません。

念のため、心療内科で軽い睡眠薬を処方してもらっているのですが、薬を飲んでも全く良くならない。

そのせいで日中は寝不足で頭がボーッとするし、目の間の事にもなかなか集中できない。

やっと出社訓練にも慣れてきて気持ちが前向きになってきた反面、睡眠不足によるストレスが大きいせいで精神的不安がさらに強くなってしまいました。

 

その後、心療内科で症状が良くならないことを伝えたところ、中途覚醒に特化した睡眠薬を追加してもらいましたが、気持ち的には薬が増えた事に対して「なんだかなあ…」という感じです。

ワンピースを買いまくる 

中途覚醒が悪化してきた頃から、朝すんなりベッドから起きられることができなくなりました。 

夜中に目が覚めたせいで疲れがとれない…

体が重くて体を起こせない…

復帰訓練中なので「ここで休んだら今度は本当にどこにも行けなくなってしまうぞ!!!」

毎朝そういい聞かせながら朝起きるのですが、そこからが問題なんです。

 

服を選ぶのがめんどくさい。

というより、服が選べない。

 

今日は寒いからセーターにしようかな?とか、このトップスならスカートとパンツどっちが似合うかな?とか…

休職前は色合いやデザインを気にしたりしながら服を選べていたのですが、

最近は服を選ぶのがめんどくさいと感じるどころか、何を着ていけばいいのか考えることが辛くてたまらなくなりました。

 

そんなある日、ネットでミニマリストの方のブログをいくつか読ませていただいたところ、ワンピースしか着ない生活をしている女性の記事が目に止まりました。

  • 朝はワンピースだけ選べばいいから服装に悩む時間が減る!
  • ワンピースだけの生活にしたら、身支度の時間が増えた!
  • 買うのはワンピースだけなので、余計な服を買わなくて済む!

などなど…

 

これらのメリットを読んで、これだ!!!と思いました。

不安や緊張感で張りつめた生活を送っていると、選択という作業に脳のリソースをとられ、それ以上何も考えられない状態になってしまうのです。

ワンピースであれば、その日の気分にあった1着を選んでおしまい!

無駄に着ない服を買わなくてお財布にも優しいし、何より楽しておしゃれを楽しむことができるので、個人的にはメリットだらけでした。

 

さっそくワンピースだけの生活にシフトチェンジしようと、いろんなワンピースを買い漁りました。

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すべてagnes b.のワンピース。メルカリですべて購入。

うーん…

やっぱり何度見てもかわいい…♡

 

もともと外でゆっくり考えながら服を選ぶのが苦手なので、ここ数年はネットでしか服を買いません。

なぜメルカリで買ったかというと、個人的にメリットだらけだったのです。

  • 好きなブランドの服が安い値段で着られる
  • 過去に欲しかった服が出品されてる可能性が高い
  • 運がよければ新品の服を安い値段で買える
  • 中古品でもキレイな状態のものが多い
  • 時間と場所を選ばずに吟味しながら服を選べる
  • 丁寧に接すれば多少の値引きにも応じてくれるのが嬉しい

以前はZOZOTOWNを見ながら今流行のロングスカートファッションに追いつこうと必死で似合う服を探しまくってました。(でも結局買わずに終わることがほとんど)

 

でも正直いうと、わたしはロングスカートよりミニスカートの方が好きなんです。(ミニスカートやミニ丈のワンピースを着ているほうが圧倒的にまわりが褒めてくれるから)

 

流行を追い求めながら好きでもない服で1日を過ごすか、とっておきのお気に入りの1着で1日を過ごすか。

自分だったら、やっぱり毎日お気に入りの服を着ていたいです。

 

そう考えるようになってから、安い新品のファストファッションを毎朝あーでもないこーでもないと考えながら選ぶよりも、お気に入りの1着を大切にしながら長く着る方がいいんじゃないかという結論に至りました。

今後も季節に合わせたワンピースを少しづつ買い足していこうかなと思います。

希死念慮に駆られる

会社に復帰したはいいものの、環境が突然変わったことのストレスと、不眠による体調不良で苦しむことが多くなりました。

 

体調を整えるために睡眠時間を確保したいのに、夜中に目が覚めて寝られない。

電車に乗らないと会社に行けないのに、閉じ込められた空間と、電車に乗っている人がこわい。

同じ会社にいるのに、社員の一員として働くことができない。

 

「〇〇ない〇〇ない」づくしのオンパレード。

 

Twitterでもネガティブ全開なつぶやきが日に日に多くなりました。

 

 

治したい気はあるのに、体調は悪化するばかり。

 

笑顔で「頑張ろうね!」と励ます上司の顔を見るたびに、「今も精一杯がんばっているのに、これ以上、何を頑張ればあなたは認めてくれるの?」と思う。

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笑顔の上司を前にする度に、体が強張って声も小さくなる。

 

会社に行っても何も生産性のない自分を俯瞰するたびに「生産性も即戦力も技術も乏しい人間が何をしに来ているの?」と思うようになりました。

 

家にいても何も意欲がわかず、ボーッとしているか病院に行くか寝るだけの生活。

話す相手もいないので誰とも口を聞かずに過ごしていたら、母親から「いい加減にしてよ!!!誰とも口を聞けない人の相手をするのがどれだけ辛いか分かってるの!?」と怒鳴られました。

 

心の中では「わたしが一番治したい気持ちでいっぱいなんだよ!自分でも何が起こっているか分からないんだよ!自分のことでいっぱいいっぱいなのに、あなたの意見を押しつけないでよ!」と叫びました。

 

でも、声に出して言えませんでした。

というより、声が出ませんでした。

 

代わりに、大量の涙と鼻水が出てきました。

 

家にも会社にもどこにも自分の居場所がない。

 

ああ、今すぐラクに死ねたらいいのになあ… 

ふと、ベッドに横になりながらそう思いました。

 

自分は何のために生きているのか分からない。

誰にも必要とされない。

病気ばかりで内向的な自分より、妹の方が価値がある。

「人間はこの世に修行をしに来ているから生きている」と誰かが言っていた。

ならば、わたしの修行はもう失敗しているから生きている意味がない。

 

それならいっそ、自分が死んでしまった方が何事もキレイに収まるのではないか?

そんな考えがぐるぐると頭の中を駆けめぐっていました。

 

ある寝る前のこと。

もう何もかもが嫌になり、押し入れにしまってあるEVE頭痛薬を取り出して、あるだけの量を飲んで眠りにつきました。OD(オーバードーズ)です。

 

とにかくラクになりたい一心でした。

とにかく何かから逃れたかった。

 

結局、次の日の朝は大量の寝汗とめまいと吐き気とともに目を覚ましました。

頭がグラグラして胸のあたりがムカムカ。

時々、視界が二重になって見えました。

 

今思うと、よくあんな体調で会社にいけたなと思います。

とりあえず、周囲にはただの体調不良にしか見えてなかったようでした。

 

多分、あの時の自分は「安心しろ。お前らが望めばわたしはいつでも死んでやる。」と周囲に思い知らせたかったんだと思います。

 

ODくらいしか自殺の方法を思いつかない人間が、ラクして死のうなんて無理な話なのに。

 

でも、それだけ精神的に追い詰められていたのは事実です。

このことは家族にも上司にも、心療内科の主治医の先生にさえ話していません。

 

自分のために生きようと決めたのに、それすらもできない。

ジレンマだらけの毎日です。

まとめ

ワンピースだけの生活に目覚めたと思ったら突然の自殺願望。

いっそのこと一度死んでゼロからやり直した方が、もっと幸せな人生を送れるのではないかと思うことがあります。

でも、わたしは根っからの小心者なのでできないんだろうなあと思います。

 

やっと気持ちが落ち着いてきたのに、また気持ちが不安定になりつつあります。

元の明るい自分を取り戻せるようになるには、思っていたより相当の時間と体力が必要みたいです。

 

PS.

最近、自分への体調や感情の変化、生存確認(?)もかねて日記を始めようか考えています。

やるかもしれないし、やらないかもしれない。

 

最初はTwitterでやればいいんじゃないかと思ったのですが、字数制限もあるし、他のツイートに埋もれていくのが気になりました。

なので、もしやるとしたらnote(https://note.com/)でやろうと思っています。

【適応障害で復帰訓練】寝不足と透明人間に苦しむ ー復帰訓練から3週間が経ちました。ー

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こんにちは。marina*(@NMarina422)です。 

 

わたしは2019年10月ごろに適応障害を発症し、3ヶ月間の休職を経験しました。

 

2020年1月中旬からは、フレックスタイムを利用した「出社訓練」をしています。

▼経緯はこちらから▼

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復帰訓練から約3週間が経ちました。

 

初日は、久しぶりの本社と会社の人々の目が怖くて仕方なく、朝から不安と緊張感MAXの状態でした。

朝起きるのも、洋服を着るのも、朝ごはんを食べるのも、何もかも億劫でたまりませんでした。

電車に乗るのも怖すぎて、途中から泣きながら会社に向かっていました。

 

それでも途中で引き返したり休んだりせず、ただひたすら出社し続けたのは、このままではまた周囲に迷惑をかけてしまうと思ったからかもしれません。

 

休職中、毎日メソメソ泣いてばかりいて家族や上司に迷惑をかけておいて、復帰してもまた周囲に困った顔をさせたいのか? 

 

そんな声が、今でも自分の頭の中で響き渡っています。

 

前回の更新から間があいてしまいました。

復帰してからブログを書く時間も体力も気力もなかなか確保できずにいました。

時には「もう書くのやめようかなあ…」と思ったこともありました。

 

でも、本心では書くのをやめたくない思いでいっぱいでした。

誰の目にとまろうがとまるまいが関係ありません。

ただ少し欲をいえば、同じ適応障害抑うつで苦しんでいる人の現状を知ってほしい。

ダラダラ長くて読みづらいけれど、苦しみながらも必死で毎日を生きている人がいる事実を知ってほしい。

 

今回も前回の更新以降の体調などのご報告です。

どうか最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

 

▼前回の記事はこちら▼

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夜中に目が覚める

前回の記事で、寝汗がとまらないことを言及しました。

会社に復帰できたはいいものの、薄い毛布がビショビショになるほど寝汗がひどい日が続いていました。

それが原因で、寝る前に寝汗のことが不安になって寝付けなかったり、夜中に目が覚めてしまうといった状態に悩まされていました。

 

その後、通院している心療内科にて相談してみました。

相談したところ、休職明けに環境が大きく変化したこととストレス、自立神経の乱れが原因だと診断されました。

 

言われてみると、寝汗が出るようになったのは会社への復帰が具体的に決まった時期でした。

自分では会社に復帰することに対し、以前より憂鬱に感じたりすることはありませんでした。

ですが、自分では気がつかないところでストレスが積み重なっていたのかもしれません。

薬のストックやお弁当の準備、定期のチャージ代など。

復帰に際して気を配らなければいけないことが増えていきました。

 

以前は気にも止めなかったことが急に心配になり、それらが知らぬ間にストレスとなっていたようです。

 

とりあえず、寝汗対策として自律神経の調子を整える薬をすすめられたので、次回の診断まで服用してみることにしました。

 

結果として、あんなにひどかった寝汗がピタリと止まりました。

薬を飲んでから一度も寝汗をかいていません。

着ている下着や毛布がビショビショになるほどだったので、治って本当によかったです。

 

ですが、喜びもつかの間。

 

寝汗が止まったはいいものの、夜中に目が覚めてしまう問題が出てきてしまいました。

 

寝汗が止まったのが分かってから、「やっとぐっすり眠れる…」と思ってベッドに入っったある日の夜のことでした。

 

パチっと目が覚めたので、時計をみると夜中の3時。

夜中なので当然ながら外は真っ暗です。

 

いつもならウトウトしながら目を覚ますのですが、その時は本当にいきなりパチっと目が覚めたので、ちょっとおかしいなと思いました。

さすがにこの時間から起きても仕方ないので二度寝しようとしたのですが、なかなか寝付くことができませんでした。

結局、その日は寝不足が原因で意識がボーッとしており、フワフワした感覚で過ごしていました。

 

その日以来、夜は普通に寝付けるのですが、決まって夜中の2時や3時にいきなりパチっと目が覚めるようになってしまいました。

 

やっと減薬できると思ったら、結局元どおり。

 

最近は、上司に励まされるたびに申し訳なさと「はやく治さないといけない」と躍起になってしまい、どうすればいいのか分からなくなってきました。

 

母親に相談しても、「慣れ」の一言で片付けられてしまうのでそれ以上何も言えず仕舞い。

 

適応障害抑うつに悩んでいる人の辛さや苦しみは、休職中だけでなく復帰してからが本当に大変なものかもしれません。

 

透明人間になりたくない

 

現在、わたしは出社することに慣れるためのリハビリ、いわゆる出社訓練中です。

そのため、日中は実際の業務に携わることはせず、資格取得のための勉強をして過ごしています。

電車に乗って出社するのが苦しくなくなるのが目標ということ、休職明けからいきなり業務を進めるのは難しいので、現状はこのような形で復帰訓練中です。

 

復帰直前は、「それなら大丈夫そうだし、すぐに慣れるだろう」と思っていました。

 

ですが、それは大きな間違いでした。

 

会社にいって資格の勉強を進めているのはいいものの、わたし以外の人間はテキパキと動き回りながら仕事に勤しんでいる。

秋から入った新入社員でさえ、電話を取ったり、受付をやったり、他の上司の手伝いをしている。

 

当のわたしはと言えば、他の社員より遅く会社にきて、一人もくもくと勉強をして、夕方になったら誰よりも先に帰るだけ。

 

仕事も振られず、誰にも話しかけられず、決まっている座席に座って1日を過ごす。

 

まるで透明人間になったようでした。

 

病気であるわたしに気を使って話しかけないようにしていることが痛いほど分かるのです。

でも、ありがたいことなのに、ありがたいと思えないのです。

 

わたしって、いる必要があるのだろうか?

給料搾取するだけの、ただのお荷物じゃないか。

わたしって、何?

 

最近は、そんな思いがグルグルと頭の中をループして、自分の存在価値を否定してばかりいます。

 

そんな思いも相まって、最近では寒暖差に関わらず、憂鬱な気分が抜けずにいます。

まとめ

会社に復帰したはいいものの、環境が突然変わったことで逆にストレスが積み重なり、体調面や精神面で苦しむこととなってしまいました。

 

体調を整えるために睡眠時間を確保したいのに、夜中に目が覚めて寝られない。

電車に乗らないと会社に行けないのに、閉じ込められる電車と、電車に乗っている人がこわい。

同じ会社にいるのに、社員の一員として働くことができない。

 

「〇〇ない〇〇ない」づくしのオンパレードです。

 

それどころか、上司には勝手に目標と性格を決めつけられ、にっちもさっちも行かなくなりました。

 

上司って、自分より家族よりえらい存在なんでしょうか?

会社って、社員が貢献していかなければ成り立たないものなんでしょうか?

 

自分のやりたいことの地盤づくりとしてつながっている、会社というちっぽけな存在。

自分は会社のためだけに生きているだけじゃないのに、やるべきことを勝手に決められる。

会社員として生きていくことが、そんなに誇れることなんでしょうか?

 

「還暦を迎えてからやりたいことを思いっきり楽しむんだ!」

 

還暦を迎えてからじゃ手遅れです。

 

還暦まで生きているかなんて、誰も分かりません。

誰も保証も証明もしてくれません。

 

明日には交通事故にあって亡くなっているかもしれない。

 

ガンだと知らされ、余命宣告までされた人が、それでも元気に真面目に会社に働きに行くでしょうか?

 

林修先生の「いつやるの?今でしょ!」は、ジョークでもネタでもありません。

 

自分の命は自分のもの。

手足を動かして生きてくれるのは自分だけしかいないんです。

 

わたしは会社に復帰した日から、「会社のためにはやく病気を治したい」とは一度も思ったことがありません。

病気になる前の自分だったら、もしかしたらそう思ったかもしれません。

 

でも、病気になって苦しみのどん底を経験したからこそ、生きるためのベクトルが会社だけじゃない事に気づきました。

 

自分のために命をフルにつかうこと。

これが今の自分の最大級の目標です。

誰にも変えることも譲ることもできません。

 

会社に復帰できるかどうかは、今の状態からはなんとも言えない状態です。

とりあえずは不眠を解消するのを優先し、上司の病気への理解をより深めてもらうよう相談したいと思います。

 

では、また。

【適応障害で復帰訓練】電車と寝汗と人のやさしさ ー会社に復帰しました。ー

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こんにちは。marina*(@NMarina422)です。

 

わたしは2019年10月ごろに適応障害を発症し、3ヶ月間の休職をせざるをえない状態になりました。

▼経緯はこちらから▼

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それから年が明けた2020年の1月21日。

なんとか会社に復帰することができました。

 

復帰といっても、しばらくの間はフレックスタイムを利用した「出社訓練」です。

体力や精神状態も完全に良好とはいえないため、通常業務はせず、まずは会社に慣れることが目標です。

 

さて今回は、前回の更新から会社に復帰するまでの出来事について報告です。

▼前回の記事はこちら▼

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電車がこわい

会社への復帰が決まった2020年1月14日。

働けない状態を克服したいと思いつつも、休職明けからきちんと会社に行けるか心配でした。

というのも、わたしは電車が大の苦手なのです。

 

わたしは中学・高校は私立の学校だったため、毎日電車で通っていました。

自宅の最寄駅から3駅ほど離れた場所です。

乗り換えもなく乗っている時間も短いので、1時間足らずで通える距離でした。

そのため当時は電車に対して「ただの交通手段」という認識でしかなく、これといって特別な思いはありませんでした。

 

ですが、大学生になってから電車に対するイメージが大きく変わりました。

 

大学生にもなると、さすがに距離も遠くなり、電車の乗り換えも必要になりました。

入学式の時は、今までいったことのない場所まで通うことになったので、内心ウキウキしていました。

ですが、入学してから3日でその心の浮つきは消えました。

 

当時、わたしが利用していた路線は東急田園都市線

そう、遅延で有名な東急田園都市線です。

 

入学式の次の日。

その日は朝からシラバスの説明や時間割の決め方を先輩から教えてもらう重要な日でした。

当然、遅刻は御法度。

絶対に遅れないようにしなければと、余裕を持って家を出ました。

それから、田園都市線に乗り込み30分ほど経過したころ。

混雑と雨と車両点検の影響で、電車が大幅に遅れていることが分かりました。

結局、その日は10分ほど遅刻をしてしまいました。

まだ友達もろくにできていない人見知り全開の状態で、聞き逃した部分を後ろの席の子になんとか教えてもらうことになりました。

その日以来、わたしは2度と遅刻をしないことを誓いました。

 

遅刻をしないためには、5〜10分前に来ても意味がない。

そう思ったわたしは、授業開始の40分前に必ず到着しようと決めました。

1時限目がある時は8:20に到着し、誰よりもはやく教室で待機していました。

「遅刻は悪いこと」「電車が遅れたら自己責任」 

いつしか電車遅延に対して極端にマイナスイメージがついて回るようになりました。

 

ある夏の日。

いつも通り朝はやく電車に乗っていると、途中の駅で大勢の人が乗ってきました。

夏の電車内は地獄です。

汗やら香水やら人の圧でいっぱいになります。

わたしは当時、扉近くに立っていたのですが、電車が発車してから数分後、目の前が真っ白になりました。

貧血です。 

まるで頭のてっぺんから血液がサーーっと引いていき、体中から大量の汗が吹き出してきました。

さらには激しい頭痛と吐き気に見舞われ、とても立っていられる状態ではありませんでした。

思わずその場で座り込んでしまいそうになりましたが、なんとか手すりにしがみつき、大学の最寄駅に着くまで我慢しました。

なぜ助けを求めず、座り込まず、そのまま我慢したのか?

遅刻が怖かったのと、人に迷惑をかけたくなかったからです。

 

中学・高校のころは電車に乗っている時間が極端に短かったので、遅刻とは無縁でした。

ですが、大学生になり電車に乗っている時間が長くなると、頻繁に電車遅延が発生している時間に遭遇するようになり、同時にサラリーマンが「またか…」とか「どうしてくれるんだ!!」と駅員を怒鳴りつける人を見かけるようになりました。

その影響か、わたし自身も人身事故が発生するたびに亡くなった人や遺族、果ては混雑した電車に対して激しい怒りを覚えるようになりました。

それからというもの、電車が1分でも遅刻するとイライラしたり落ち着きがなくなったりするようになりました。

 

それから社会人になったある日。

混雑した電車でつり革につかまっていると、あまりの混雑でつり革につかまった腕が男性の首にぶつかりました。

その瞬間、男性は怖い顔でわたしの顔を睨みつけ、すごい力でわたしの腕に掴みかかってきました。

大声で何かを言っているようでしたが、わたしはその時イヤホンをつけていたため、何を言っているか聞こえませんでした。

わたし自身も、その時は危ないのでつり革から離そうとしましたが、身動きが取れず離すことができませんでした。

ですが、そんなわたしの思いは届かず。

結局、乗り換える駅に着くまで男性に腕を掴まれたまま、助けを求めることなどできず、そのまま耐えることしかできませんでした。

駅に降りてからは、とにかく男性から離れようと必死で逃げました。

たぶんその時、わたしは泣いていたと思います。

理不尽な状況と男性の顔、周囲の哀れんだ表情。

あの出来事が起きた空間にいた乗客全員が、わたしのことを「どうしようもないヤツ」と思っているように感じられました。

 

その日以来、わたしは電車に乗るのが怖くなりました。

駅のホームに立つと、胸がドキドキして足が震えます。

でも、会社に勤めている以上、電車に乗らざるを得ない。

一度、家族に相談しようと思ったこともありました。

でも、こんなことを話したら「そんなんじゃ生きていけない」とか「会社をやめるしかないね」と言われそうで怖くてできませんでした。

 

会社に復帰した日も、恐る恐る電車に乗って会社に行きました。

上司から「電車空いてたでしょ?」と聞かれましたが、うまく答えることができませんでした。

 

これは憶測かもしれませんが、わたしの適応障害は、上司のプレッシャーや持病のストレスだけでなく、電車の怖さも関係しているのではないかと思います。

電車の怖さ問題は、次回の診断の際に相談してみようと思います。

とまらない寝汗

2020年1月になって2週間ほど経過したころでした。

ある日の夜中、突然サウナにいるような暑さで目が覚めました。

気がつくと、全身びっしょりと寝汗をかいていました。

しかも下に敷いているマットレスがびしょびしょになるほど。

その時は、おそらく生理が近づいてきたからだろうと思っていました。

わたしの場合、生理が近づくと寝汗をかいたり腰痛がひどくなるので、今回も予兆か何かだと思って気にも止めませんでした。

ですが、その寝汗は次の日もやってきました。

その次の日も。またその次の日も。

来る日も来る日も体中がびっしょりになり、夜中に突然目が覚めます。

肝心の生理はというと、一向にやってきません。

 

心療内科で処方された薬が関係しているのかと思いましたが、最近は飲む回数を減らしており、飲んだ日も飲んでない日も必ず寝汗をかきます。

 

このまま不安要素を増やしてしまうのは嫌だったため、すぐに心療内科で相談してみました。

すると、自律神経の乱れが関係しているのではないかと診断されました。

会社への復帰という環境の変化が起因し、ストレスとともに自律神経が乱れてきているそうです。

とりあえず、今まで服用していた夜の錠剤タイプの薬を自律神経を落ち着ける作用のあるものに変更しました。

また、この日は定期採血の日だったため、採血もしてから定期診断を受けました。

寝汗のせいでいい睡眠が取れていないように感じられ、日中の気分も下がり気味になってきています。

寝汗の問題も一刻もはやく解決し、少しでも心の負担を軽くしたいものです…

人のやさしさが心地いい

休職明け一発目の会社は、緊張と不安でいっぱいいっぱいで、とにかく疲れました。

久々に顔をみる社員や、見慣れない方もおり、不思議な空間にいるようでした。

わたしが適応障害で休職していたことは上層部の人間しか知らないことになっているため、事情を知らない社員の方は「?」とした様子でした。

「とにかくはやく1日が終わってくれ」

そんな思いで1日を過ごし、やっとの思いで帰路につきました。

 

その帰り道。

そろそろきちんと顔の手入れもしないといけないと思い、最寄駅にあるLUSH(ラッシュ)で洗顔フォームを探すことに決めました。

最後にラッシュにいったのは高校生くらいの時で、ニキビに悩んでいた頃にラッシュの化粧水のおかげで肌の状態が大幅によくなりました。

久々の店内やお店のお姉さんで、少し緊張してしまいましたが、思い切って店内に入ってみました。

ラッシュはいろんな果物の香りであふれていて、とても心地いい空間です。

洗顔コーナーを探していると、綺麗なお姉さんが真っ先に駆けつけてくれました。

学生の頃に化粧水を使っていたこと。

洗顔フォームを探していること。

こんな肌の悩みで困っていること。

とにかくたくさんお話しました。

それからは商品を試させてもらったり、どんな肌にしたいか親身になって相談に乗ってくれました。

洗顔だけでなく、相性のいい化粧水や保湿クリームもわたしの肌なじみを一番に考えて提案してくれました。

ちょっと合わないかな?と思った時は「率直に意見を聞かせてください!」と言ってくれたので、本当に必要な商品だけを厳選して紹介してくれる頼もしい店員さんに感激しました。

学生の時はおしゃれなお姉さんやOLさんが行くところだとずっと思っていましたが、そんな思いはすぐに吹き飛びました。

 

休職中は外に出るのも億劫で、家族以外の人と触れ合うのが怖くて怖くて仕方ありませんでした。

家族以外の人にやさしく接してもらう機会なんて全然なくて、人の暖かさなんてもう感じられないものだと思っていました。

あの時、わたしに丁寧に接客してくれた店員さんにたくさん感謝を伝えたいです。

今度はシャンプーを買おうかと思っているので、その時会ったら必ずお礼を伝えようと思います。

まとめ

 

久々の満員電車と会社は、本当に心と体が疲れました。

前日に母から「たくさん食べないと電車で倒れちゃうよ」と言われましたが、本当に洒落にならないくらい体力をもっていかれました。

帰ってきてからは頭と足が疲れ果て、そのまますぐにベッドで2時間ほど寝ました。

自分が思っていた以上に疲れが溜まっていたと思います。

でも、会社と長い通勤電車でヘロヘロになっていたにも関わらず、洗顔を買いにラッシュに寄ったのは、寂しかったからだと思います。

 会社にいても気を遣ってあまり話しかけてくれない。

かと言って自分から話しかけることもできない。

家にいてもひとりぼっち。

そんな自分でも気兼ねなく話せて、すぐに立ち寄ることができたのがラッシュだったんだと思います。

今のわたしに必要なのは、とにかく誰かとしゃべること。

 心療内科の先生や家族、お店の人、会社の人…

まだまだ勇気が出せなくて、自分から話しかけるのは時間がかかりそうです。

とりあえず、またラッシュに行ってシャンプーのことを相談しながら、人と話す練習をしようと思います。

【適応障害で休職18】「助けて」を言える人がうらやましかったー会社復帰の打ち合わせに行ってきました。ー

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こんにちは。marina*(@NMarina422)です。

これまでの経緯はこちらから。

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2019年10月ごろに適応障害を発症し、そのままずるずると3ヶ月の間、休職することになりました。

 

そして2020年1月。

会社への復帰が確定しました。

 

かれこれ3ヶ月間。

たくさん悩みました。

たくさんもがき苦しみました。

たくさん泣きました。

泣きすぎて鼻とまぶたが赤くなっておかしくなってしまうくらいでした。

おそらく1リットルのペットボトルくらい泣いたと思います(今でもたまに緊張感で涙が出ることはありますが…)

 

 

 ですが、2020年の年明けを一つの区切りとして、少しずつでも前に進むことを決意しました。

 

いつまでも見えない誰かや不安に怯えていたくない。

いつもでも自分の涙目の顔を鏡で見ていたくない。

このまま働けない体で家に引きこもっていたくない。

やりたいことがたくさんあるのに何一つ叶えられないまま死にたくない。

 

自分の人生を自分の力で切り開いていくため、まずは会社への復帰を第一歩としました。

▼詳しくはこちら▼

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そして先日、会社復帰の具体的な予定を決めるために本社へ向かいました。

そこで今回は、その打ち合わせで決まった内容(出社時間や業務内容など)についてのご報告です。

 

勤務時間について

結論として、フレックスタイムでの出勤が決まりました。

勤務時間はAM10:30〜PM4:00。

朝は通勤ラッシュで混雑しており、精神的にも体力的にもキツい。

また、休職明けからフルタイムで働くのは難しい。

それらを考慮した結果、しばらくの間は「出社訓練」として以上の時間帯で出勤することになりました。

 

休職2ヶ月目あたりから、だんだんと自分の中で「働かないとまずい」という危機感が生まれてきました。

原因は明らか。

家族ひとりだけ家で引きこもっているから。

 

病気になった時、家族に看病してもらったり、心配してもらうことはありがたいことです。

でも、両親や兄弟、姉妹が働いていたり学校に行っている場合、朝の不安と憂鬱感は計り知れません。

なぜなら、みんなバタバタと忙しなく家の中をかけ回り、出かけるための支度をしているから。

 

みんなは仕事や学校に行くために必死に身支度をしている。

かたや自分は働けないから家にいるしかない。

出かけたくても外が怖くて家から出られない。

 

同じ家に暮らしているのに、家族なのに、自分ひとり取り残される孤独感に襲われるのです。

この孤独感から脱却するのに私は1ヶ月近くかかりました。

必死に「また元気に仕事に行けるようになるためにエネルギーをチャージしているだけ」と言い聞かせました。

時には死ぬまでにやりたいことリストを作って、自分の人生を前向きに明るく考えられるようにしました。

▼詳しくはこちら▼ 

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 やりたいことを叶えていくために、まずは会社に行けるようになろう。

それ以来、少しずつ会社に行くことが第一の目標になりました。

 

もう一つは、お金の心配が生まれたからです。

幸いわたしは実家暮らしのため、家賃や食費、生活費を負担する必要がありませんでした。

それでも2週に1度の通院費や薬代などかかります。

しかも、休職すると体や気持ちを落ち着かせることはできますが、その代わり休んでいた間の社会保険料を会社に支払わなければなりません。

本来は給与から社会保険料は引かれるのですが、休職中は会社側が立て替えて支払うためです。

私の場合、1ヶ月目の休職が経過して約20日後に傷病手当金が支払われたのですが、その数日後に4万円近い社会保険料を会社に支払うことになりました。

傷病手当金は給与の3分の2が支払われることになっています。

ですが、そこから社会保険料が引かれるため、結局手元には少ししか残らないなんてことも。。。

この時ばかりは一人暮らしをしていなくて本当によかったと思いました。

傷病手当金についてはこちら▼ 

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今回も休職2ヶ月目分の社会保険料を支払ってきました。

まだ2回目の傷病手当金の受け取りができていないため、なんとか貯金を切り崩して支払いました。

 

お金の不安を少しでも減らせるよう、やりたいことを叶えるためにも、まずは一日置きでもしっかり出社できるよう頑張りたいと思います。

業務内容について

気になる業務内容ですが、いきなり休職前と同じように業務をこなすのは困難です。

万が一、仕事でミスをして症状が悪化したら元も子もありません。

そのため、上司と相談した結果、資格試験の勉強を行うことになりました。

わたしの職業は、簡単に言えばシステムエンジニアプログラマーです。

情報の取り扱いやプログラムを組んだりすることが主な業務です。

当然、個人情報を扱ったりすることも多いため、専用の資格が必要になることもあります。

そのため、しばらくの間はSEに必須と言われる「基本情報技術者試験」の勉強を社内で進めることになりました。

とは言っても、ただやみくもに勉強していても仕方ないため、出社した日はどんな勉強を行ったか上司に日報を提出します。

 

復帰が確定したはいいものの、いったいどんな業務になるのだろうと心配になっていました。

わたしが適応障害になったのも納期や上司のプレッシャーが原因だったため、もしプロジェクトに関わることになったらどうしようと不安で仕方ありませんでした。

 

取得したくて参考書を買ったはいいものの、内容が難しく受験を敬遠していたので本当に助かりました。

2020年内に合格できるよう、少しずつ苦手な部分を克服していけたらと思います。

 

 

まとめ

 

今回の打ち合わせに行くまでは、復帰が確定したものの、その後の業務内容や社内の人とのコミュニケーションなど様々な不安感に襲われました。

当日の電車内でも、混雑はもちろん、自分より身長の高い男性に八つ当たりをされた恐怖で倒れてしまいそうなくらいでした。

 

それでも途中で引き返さず、なんとか会社に向かったのは、これまでの弱い自分から脱却したいという思いがあったのかもしれません。

 

打ち合わせから一夜明けた朝は、ホッとしたのかいつもより寝坊してしまいましたが、以前のような体のだるさや不安に襲われるといった症状がありませんでした。

もう働けなくなったらどうしようと苦しみ、いつも下ばかり向いていた自分から、やっと少しだけ前を向いて歩けるようになった気がします。

 

それでも、やっぱり人混みや電車が少し怖く、躊躇して足がすくんでしまいます。

今回は無理にでも会社に行かなくてはと必死でしたが、このままではまた外出が困難な状態に後戻りです。

無理だと思ったらきちんと助けてと声をあげられるようになることも、今の自分には必要なことだと思いました

以前の自分だったら車内で助けを求めようにも、電車を遅らせてはいけない、周囲を困らせてはいけないと自分を自分で叱責し、じっと我慢していました。

これはわたしだけではなく、多くの人が悩み苦しんでいることだと思います。

 

ただでさえ日本では電車の遅延や人身事故に厳しい批判をする人が多いのが現状です。

適応障害になる前のわたしも、その1人でした。

 

少しでも電車が遅れれば心の中で電車を遅らせた人を責めました。

人身事故を起こした人のことをひどく憎んだこともありました。

 

でも、いざ当人になってみると、助けを求められる人はなんて勇気のある人なんだろうと思いました。

たぶん、以前の助けを求められなかった自分は、必要な時に助けを求められる人がうらやましかったんだと思います。

自分にはできないことが誰かはできる。

そんな思いがいつしか嫉妬になり、攻撃の対象になってしまった。

 

今回、電車の中で八つ当たりをされて助けを求められなかったのは、このことに気づくためだったのかもしれません。

捉え方次第だと言われればそれまでかもしれません。

でも、精神的に苦しんでいる自分にとっては、日常の何もかもが気づきの対象です。

当時は怖くて怖くてたまりませんでしたが、今考えてみると身のふりを直すきっかけになりました。

自分にしたことは必ず自分に帰ってくる。

 

助けてを言える人は、同時に助けを求めている人を臆さず助けることができる。

当然、誰かを助けられる人は、助けてほしい人に助けてもらえる。

 

会社に復帰しても、不安や疑問がある時は、勇気を出して誰かに相談できるようにする。

復帰してしばらくは社内の人とのコミュニケーションに悩みそうですが、まずは無理せず自分のペースで出社ができる状態に戻していきたいと思います。

【適応障害で休職17】ー油断は禁物。あわてない、あわてない。ー7回目の心療内科に行ってきました。ー

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あけましておめでとうございます。marina*(@NMarina422)です。

 

いよいよ東京オリンピック開催の2020年になりましたね。

お正月休みも明けて仕事も始まり、忙しく働いている方も多いのではないかと思います。

 

かく言うわたしは正月明け早々、心療内科に行ってきました。

▼詳しい経緯についてはこちら▼

www.marina422.com

 2019年10月に適応障害を発症してから約2ヶ月半。

やっと精神状態も落ち着きを取り戻し、笑って過ごせる時間が少しずつ増えてきました。

 2ヶ月前までは想像もできなかったほどの回復です。

 

2ヶ月前のわたしは、仕事と持病によるストレスとプレッシャーで心体ともにボロボロになり、抑うつ状態の一歩手前でした。

 

涙がとまらない。

食欲がわかない。

眠れない。

うまく話せない。

ずっと体がだるい。

不安感に襲われる。

などなど…

 

 毎日ビクビクしながら過ごし、「こんな自分が生きていたって仕方ない」とか「こんなに苦しむくらいなら死んだほうがマシだ」などと考えてばかりいました。

  

ですが、休職中にやりたかったことに挑戦したり、ブログを通して自分の本音と向き合うようになったことで、不思議と「死にたい」「消えたい」「こわい」「嫌だ」といったネガティブな感情が少しずつ減ってきました。

 

今回は、前回の診断から2020年の年明けまでの体調や精神面の変化についてご報告です。

体の調子は?

前回と変わらず、おかげさまで快調です。

ニンテンドーSwitchの「リングフィットアドベンチャーのおかげです。

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休職前は仕事が忙しいあまり運動はおろか、外出する時間もろくにありませんでした。

もともと運動は得意ではないし、休みの日はもっぱら平日のお弁当の準備に忙殺されていました。

そのせいかストレス発散がうまくできない状態になってしまい、休職直前にはお弁当作りを放棄し、いつしか昼食をとらない日が増えていきました。

案の定、体重も大幅に減ってしまい、毎日ヘロヘロの状態で過ごしていました。

ためしに体重計に乗ってみると、高校生の時より痩せてました。

お風呂を入る時にふと自分の体を見てみると、あと少しであばら骨が浮き出そうなくらいにまで筋肉や脂肪が落ちていました。

 

休職してからは、毎日1時間程度リングフィットアドベンチャーで運動するようにしました。

時間を決めたほうが習慣化しやすいと思い、夕方16時半にラジオを聴きながらやるようにしました。

おかげで凝り固まった筋肉も少しずつ和らいでいき、長年悩まされてきた血行不良も解消されたように感じられます。

また、毎年寒くなると冷え性に悩まされ、なかなか夜眠れないこともあったのですが、適度な疲労感と血行がよくなったことで朝までぐっすり眠れるようにもなりました。

 

休職して間もないころは、処方された入眠薬がないと寝付けない状態でした。

それどころか、朝起きても不安感が消えず、なかなか布団から出れないことも多々ありました。

今思い返してみると、夜寝る時と朝起きる時が一番苦しくて辛い時間でした。

たまに激しい寒暖差になると、体がズッシリ重く起きるのが億劫になってしまうことがありますが、以前のような辛さは無くなりつつあります。

やっと体調も整い、少しずつ外出の時間も増えつつあるので引き続き運動は続けていきたいと思います。

あと、体重が落ちまくっており、このままだと通勤に支障が出そうな勢いなので、いっぱい食べて元気に復帰できるようにしておきたいと思います。

 

PS.

2019年12月31日にやっとクリアしました。

エクストラステージがあるようなので、クリア目指して頑張ります。

薬の効果について

引き続き、2種類の薬を服用しています。

気持ちを落ちつかせ、不安や憂鬱な気分を和らげる薬が2種類。

朝食後に飲むカプセルタイプが一つ。

夕食後に飲む錠剤タイプが一つ。

 

以前は、薬を飲んでいることで安心感を得ている部分がありました。

ですが、薬に頼りっきりになっていたくないと思うようになり、薬の量が減ってから変化が現れました。

 

薬を飲むのを忘れるようになったのです。

 

それまでは「あ、薬飲まないといけないな」と思いながら飲んでいたのですが、最近になって夕食後の薬を飲み忘れることが増えてきました。

数でいうと、2週間のうち3日ほど飲み忘れていることが分かりました。

そのことを先生に相談したところ、非常にいい方向に向かってきているとのことでした。

 

不安に思った時に「何とかなるから大丈夫!」と言い聞かせることが功を奏したのか、感情のコントロールがうまくできるようになってきました。

面白かったり、楽しかったりした時に笑えるようにもなりました。

一方で、自分から不安なことを考えることも圧倒的に減りました。

母からも「表情が戻ってきたね」と言われ、自分でも表情の強張りが和らいできたように感じられます。

病気の克服に、また一歩近づくことができました。

 

ですが、油断は禁物。

いつ症状の悪化がぶり返すか分かりません。

「会社への復帰」という環境の変化で、また不安や緊張感に襲われる可能性もあります。

無理に薬を減らそうとせず、必要な時はきちんと飲むようにしておきたいと思います。

精神面について

体調とともに、精神面の状態も快調に向かいつつあります。

以前はネガティブなことを考えた時に「今考えてもしょうがない。今のは自分の本当の気持ちじゃない」と思うようにしていました。

そうすることで、ネガティブなことを無理に消すのではなく、素直に受け止めるようにしていました。

ポジティブなこともネガティブなことも自分の中から生まれたもの。

「ネガティブなことを考えちゃいけない」という考えをやめることにしました。

 

今までネガティブなことを考えた途端、「こんな自分じゃダメだ」とか「またマイナスなこと考えちゃった…」と、自分のことを否定してばかりいました。

自己肯定感を上げようにも誇れるような部分などあるわけがなく、自分のことを嫌ってばかりいました。

でも、「自己肯定感」なんて大それたことを意識しなくてもいいことに気づきました。

不安なことは不安だし、心配なことは心配。

誰だって不安なことはあるし、心配することだってある。

ずーーっとポジティブなことを考えていられる人なんていません。

いくら明るい人でも悲しい時は落ち込んだりするし、涙だって流します。

 

人は「考えてはいけない!」と言われると考えてしまう生き物です。

「ピンク色の猫を考えないでください」と言われれば、考えてしまう。

不安や心配事も同じで、考えるなと言われれば言われるほど考えてしまいます。

ならばいっそのこと、考えてもいいんだと素直に受け止めてあげたほうが気持ちも楽になると思うのです。

ポジティブもネガティブもあってこそ、今の自分。

バランスよく付き合えるようになるのが今の目標です。

 

 

まとめ

年が明け、新しい1年がやってきました。

今でも信じられないですが、去年は自分がまさか適応障害になるなんて予想だにもしませんでした。

でも、もしあの時心療内科に行っていなかったら、もし休職していなかったら、本当に引き返せないほどボロボロの自分になっていたと思います。

思いきって上司に有休の連絡をしてよかったです。

涙でグシャグシャの状態だったけれど、がんばって心療内科の先生に助けを求めてよかったです。

泣きながら受付で保険証を出したことを今でも鮮明に覚えています。

 

一方で、家族や上司、先輩など、いろんな人に心配と迷惑をいっぱいかけました。

同時に、ここまで回復できたのもいろんな人のおかげです。

 

2020年という新しい年がやってきました。

悩んで苦しんで引きこもっていた去年の自分とはおさらばです。

 

いろいろ不安や心配はあるけれど、焦ったって仕方ありません。

真剣に今後のことを考えたところで、未来は今決められません。

 

次回は、ついに復帰の予定を立てるために本社に向かいます。

上司とうまく話せるか気になって仕方ありませんが、以前のように泣きながら話をすることはなさそうです。

それまでは、新しい自分づくりを楽しみつつ、気負わずのんびりマイペースに過ごしていきたいと思います。

【適応障害で休職16】踏み出せない不安よりやって後悔する方を選ぶー6回目の心療内科に行ってきました。ー

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こんにちは。marina*(@NMarina422)です。

2019年10月から2ヶ月間の休職を経て、体調も回復に向かうとともに精神的にも「はやく以前のように働けるようになりたい!」という意欲が生まれてきました。

そこで先日、2020年の年明けから徐々に復職していくために会社と相談してきました。

 ▼詳しくはこちら▼

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 結果として、1月の中旬までに会社側で時短勤務で働けるよう環境を整えてくれる運びとなりました。

久しぶりに上司と会ったことで、緊張や復帰に対する不安が高まったのか、面談中に涙が出てしまう場面もありました。

ですが、自分の中では気持ちは確実に前向きになっている自覚がありました。

このままずっと家でうずくまっていたくない。

以前のようにみんなと働けるようになりたい。

自分のやりたいことを叶えていきたい。

自分らしい人生を生きられるようになりたい。

そういった思いを正直に伝えたところ、上司や社長も全面的にフォローしていきたいと言ってくれました。

 

そして先日、6回目の心療内科に行ってきました。

今回は、会社との面談を終えてからの体調や精神面での変化についてご報告です。

体の調子は?

休職前は、持病の側弯症による背骨の痛みがひどく、長時間おなじ姿勢でいることが辛くてたまらないほどでした。

その痛みやストレスも、今では気にならないほどに回復しました。

何をやったかというと、ニンテンドーSwitchの「リングフィットアドベンチャーです。

過去の記事でも何度か言及していますが、積極的に体を動かすようになったことで血行もよくなり、強張っていた筋肉がやわらかくなってきました。

大人になるとどうしても体を動かす時間がとれないので、骨や筋肉が硬くなり、血行もどんどん悪くなっていきます。

そのため、休息をとってもなかなか疲労感がとれないといった状態になりがちです。

わたしの場合、背骨が曲がっていることもあり、一日中パソコンの前で座って仕事をしていると背骨や腰、お尻、ひどい時には脇腹に痛みが出ることが多々ありました。

 

休職してからは体調を整えるために、運動を積極的にしようと決めました。

過去に何度かランニングやウォーキングをしていた時期がありましたが、仕事が忙しくなるにつれて時間がとれなくなっていき、結局やらなくなってしまいました。

そんな矢先、ニンテンドーSwitchから「リングフィットアドベンチャー」というゲームが発売されました。

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体を動かしながら敵を倒して進むアドベンチャーゲームです。

このゲームのおかげで運動不足も解消され、ストレス発散にもなりました。

また、血行がよくなったことで、不思議とマイナス思考がプラス思考になっていくことが感じられました。

何となく体がだるくてやる気が起きず、パソコンやスマホを見たくない時がありました。

そんな時、少しだけこのゲームをやると「ちょっとだけパソコン作業やろうかな」とか「ブログを100文字だけ書こうかな」などのやる気が出てきました。

以前は体を動かすのが億劫でたまりませんでしたが、今ではいいストレス発散になっています。

ただ、体を動かすようになったものの、依然として外出する機会が少ないのが機になるところです。

会社への復帰までに、積極的に外出して気分転換ができる状態を目指していきたいと思います。

薬の効果について

現在、服用しているのは2つの薬。

気持ちを落ちつかせ、不安や憂鬱な気分を和らげる薬が2種類。

朝夕の食後に飲む錠剤タイプが一つ。

朝食後に飲むカプセルタイプが一つ。

前回の診断では、朝夕の錠剤タイプの薬を調整して服用してよいことになりました。

それから数日後、朝食後に飲んでいたのをやめて、夜だけ飲むようにしてみました。

結果として、薬の服用回数を減らしたのは大正解でした。

以前までは、薬を飲んでいることで安心感を得ている自分がいました。

行き場のない不安感に襲われそうになった時、「薬を飲んでいるから大丈夫」と自分に言い聞かせている時がありました。

ところが、「会社に戻りたい!」と気持ちが前向きになってきたころ、薬に対する意識に変化が訪れました。

「このまま薬に頼りっきりになっていたくない」という気持ちです。

以前まで気持ちを落ち着けていた薬に対して危機感を覚えるようになったのです。

「このまま薬に頼り切っていたら、自分で不安な気持ちを乗り越えることができなくなる…」

薬を飲むたびに、そういった思いが強くなってきました。

それから薬を飲む回数を減らす決意をしました。

実際に回数を減らしたところ、日中に気分が沈みがちが時間が圧倒的に減りました。

薬を飲まなくても不安に思った時は「何とかなるから大丈夫!」と自分に言い聞かせるようになり、少しずつですがネガティブ→ポジティブへのコントロールができるようになってきました。

薬の量を減らすのは前回からの目標だったので、目標達成です。

病気の克服に、また一歩近づくことができました。

残った薬については、頓服として復職後に飲むようにとっておいていいとの許可を得たので、大切にとっておこうと思います。

精神面について

前回と同様、圧倒的に顔つきや声のトーンなども明るくなり、自分でも快調に向かっていると感じられるようになりました。

たまに仕事への復帰のことを考えて、どうしても「本当に以前のように働けるだろうか?」と思ってしまうこともあります。

そういった時は「今考えてもしょうがない。今のは自分の本当の気持ちじゃない」と思うようにしています。

2020年の年明けと同じタイミングで復帰の予定を立てられて本当によかったです。

新しい時代とともに、新しい自分になる絶好のチャンスが訪れました。

 

そのために、新しい服も買いました。

以前の自分は服装に無頓着で、明るい色の服を切る機会もありませんでした。

でも、自分らしく生きていきたいと思えるようになってから、どんな服装が一番輝いて見えるか考える時間が増えました。

自分のことをよく観察しながら、自分らしいコーディネートができるようになるのを目指していきたいと思います。

まとめ

前回は仕事復帰に向けて、以下の目標を決めました。

ステップ1:会社と時短勤務、勤務曜日の相談をする
ステップ2:時短勤務でも息抜きしながら仕事をこなす
ステップ3:自分ではできないことは正直に「できません」と言う
ステップ4:時短でできた時間を利用して自分のやりたいことを進める

無事、2019年内にステップ1を達成することができました。

これは、自分だけの力で達成できたことではありません。

心療内科の先生、家族の支え、会社の人たちの助けのおかげで実現できたことです。

この場を借りて、感謝を伝えます。本当にありがとう。

わたしがやったことは、自分の未来のために一歩を踏み出したこと。

以前までのわたしは何をやるにも不安を怖がって、先に進むことを躊躇してばかりいました。

そのせいで、せっかく訪れたチャンスを目の前で逃すこともたくさんありました。

この2ヶ月間、できなかったことに挑戦して実現できたことがいくつかありました。

以前の自分であれば「やりたいけど、でも…」とすぐ後ろ向きな発言をして、やらない言い訳ばかりしていました。

「やらない後悔より、やって後悔する方がいい」

よく耳にする言葉ですが、以前の自分とはまったくの無縁でした。

不安を味方につけて、自分の未来から目を背けてばかりいました。

でも、今は違います。

踏み出せないまま経験値0の自分でいるより、がむしゃらでもいいから一歩を踏み出して経験値が1になるほうが誰でも嬉しいはずです。

今の自分は、やっと不安という暗い洞窟で目を覚ました主人公だと思っています。

未来の自分がどうなっているかは今は分かりません。

病気が悪化してしまっているかもしれない。

以前のように笑って働いているかもしれない。

今の仕事をやめて新しいことにチャレンジしているかもしれない。

でも、いろいろ考えたところで、自分の未来は今決められません。

いま自分がやることは、仕事復帰に向けて体調を整えること。

それ以外は考えても仕方がありません。

目の前の目標に向かって一生懸命に取り組みつつ、新しい自分づくりに必要な準備を整えていきたいと思います。

人生ではじめて傷病手当金を受け取りました。ー傷病手当金の受け取りまでにやったことー

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こんにちは。marina*(@NMarina422)です。

 

2019年の10月中旬、わたしは仕事のプレッシャーと持病のストレスが原因で適応障害を発症しました。

そして、2019年10月中旬〜12月31日まで休職することになりました。

▼詳しい経緯についてはこちら▼

www.marina422.com

休職期間中は働くことができないため、当然ながらお給料が発生しません(休職期間に入るまでの給料は受取可能です)

その代わり、傷病手当金を受け取ることが可能になります

 

今回は、傷病手当金とは何か?についてと、わたしが実際に傷病手当金を受け取るまでにやったことについて報告します。

傷病手当金とは?

傷病手当金とは、業務以外の理由による病気やケガで仕事を休んでいる期間に健康保険組合から給付を受けることが出来るお金のことです。

 

わたしの場合、仕事のプレッシャー(自分の実力以上の技術を求められる、上司からの叱責、残業ばかりの日々)と、持病の側弯症による痛みからのストレスによって適応障害を発症しました。

具体的な症状としては、以下の通り。

  • 薬が効かないほどの激しい頭痛
  • 不眠
  • 手足の震え
  • 涙がとまらない
  • 頭がボーッとする
  • 動悸や息切れ

これらが原因で精神的にも体力的にも会社にいくことが困難な状態となってしまいました。

そのため、心療内科で診断書をもらい、2ヶ月ほど休職することになりました。

その際に、加入している健康保険組合関東ITソフトウェア健康保険組合)から傷病手当金を受け取るよう会社から勧められたため、申請を行うことになりました。

申請に必要なことは?

傷病手当金の受け取りには、基本的に書類での申請が必要となります。

※ただし、加入している健康保険組合によって申請の仕方が異なります。申請の際は会社側と相談しながら必要な申請を行ってください。

わたしの場合は、会社側から健康保険組合関東ITソフトウェア健康保険組合)が用意している「傷病手当金支給申請書」を受け取り、必要情報を記入して申請を行いました。

▼HPから自分で書類をDLすることも可能です▼

病気やケガで働けないとき | [ITS]関東ITソフトウェア健康保険組合

申請書の記入について

書類は2枚で1組となっています。

記入欄は、ざっくり分けると以下の通りとなっています。

  • 被保険者が記入するところ
  • 振込希望口座
  • 委任状
  • 事業主が証明するところ
  • 療養を担当した医師が記入するところ

この中で自分が記入しなければならないのが、「被保険者が記入するところ」と「振込希望口座」の2つ。

被保険者の部分は、自分の住所、氏名、誕生日はもちろん、会社名や病名、休職期間を記入します。

振込希望口座は、傷病手当金を受け取りたい口座の情報を記入します。

 

また、申請書には診断を受けた病院からの証明が必要になります

病気やケガの内容、通院記録が正しくないと審査が通らず、最悪の場合、傷病手当金を受けとることができなくなってしまいます。

そうならないために、「療養を担当した医師が記入するところ」の記入欄を病院で記入してもらいます。

その際に注意しなければならないのが、病気の証明をおこなった年月日

これは、実際に休職していた期間以降証明してもらわなければなりません

例えば、2019年10月1日〜2019年10月31日までの31日間が休職期間だった場合、2019年10月31日以降の日付で病院から証明のための記入をお願いしないといけません。

休職期間中の日付で証明してもらっても審査が通らなくなってしまうので、記入してもらう際にはきちんと説明を行わないといけません。

わたしは記入間違いがおこらないよう、証明してほしい日付を書いたふせんを記入欄に貼って、心療内科の先生に記入をお願いしました。

 

以上3点の記入が終わったあとは会社に書類を郵送し、会社側で必要な記入をしてもらった後、健康保険組合に郵送してもらいました。

 

いくら振り込まれる?

これが一番気になるところだと思います。

基本的に振り込まれる額は、普段から受け取っているお給料の3分の2になります。

※ただし、お給料の支払いがあっても傷病手当金の額より少ない場合、その差額が支給されます。

はじめは「お給料の3分の2か〜」と思いましたが、休職中の通院費や薬代を考慮するともらっておいて損はないと思いました。

もらえるものはありがたくもらっておいた方がいいですね^^;

いつ振り込まれる?

傷病手当金は、申請書類を提出してもすぐには振り込まれません

傷病手当金の申請には厳正な審査が必要となります。

記入した内容が間違っていないか、事業主との休職期間の確認、病院への症状の確認など、様々な確認が必要になるため時間がかかります。

そのため、申請してから最短で1〜2ヶ月を目安に振り込まれます。

わたしの場合、第1回目の申請書類を2019年11月26日に会社に郵送で提出し、2019年12月20日に振り込まれました。

思った以上に審査が短く、年内に振り込みも確定して安心しました。

 

また、無事に審査が完了し振り込み日が決まると、健康保険組合から通知のはがきが届きます。

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通知のはがきは、実際に傷病手当金が振り込まれる前日に届くようになっています。

書類を会社に提出した後、「いつ振り込まれるんだろう?」「審査が長引いてるのかな?」とずっと心配していました。

ですが、数日後、会社から支給日が決まったことと通知はがきが届くことを教えてもらったおかげで安心しました。

「書類を提出して1ヶ月たったけどまだ振り込まれない」という方は、会社に一度、確認をとってみることをおすすめします。

健康保険組合から会社が何らかの連絡を受け取ってるかもしれません。

まとめ

病気になって働けなくなると、一番心配になるのがお金の問題。

適応障害になって働けない状態になってから数日間は、ずっとお金の心配ばかりしていました。

休職期間中に銀行から引き落としのメールが次々と届いた時は、あまりにもお金のことを気にしすぎて貧血で倒れたことがありました…

今回、適応障害を発症して休職を経験し、いかに健康保険料がかかるかということ、通院や薬代がバカにならないこと、会社に属して働くメリットなど、様々なことを学びました。

新卒で入った会社で病気を発症してしまったことが残念ですが、社会人として必要なことを学ぶいいきっかけになったと思います。

傷病手当金という存在自体、会社に入ってから知ったので、大学生や就活生のうちから知っておけばもっとスムーズに手続きできたかもしれないと思いました。

これを機会に、お金についてもっと勉強をしていきたいと思います。

【適応障害で休職15】笑顔で会社に復帰したいー会社との3回目の面談。ー

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こんにちは。marina*(@NMarina422)です。

これまでの経緯はこちらから。

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2019年の10月中旬に適応障害と診断され、休職してから2ヶ月が経過しました。

 

休職してまもないころ…

会社や上司のプレッシャーや持病のストレスに耐えきれず、「こんな辛い思いをして働くくらいなら会社なんて今すぐ辞めてしまいたい」という気持ちが日を追うごとに大きくなり、辞めたい理由や辞めてからのことばかり考えていました。

▼当時の心境についてはこちらから▼

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 ですが、それから今後の自分の人生について、もう一度考えなおしてみました。

その結果、会社への復帰を決意し、自分が挑戦したいことの地盤づくりを始めることにしました。

▼詳しくはこちら▼

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そして先日、2020年の1月から会社に復帰したい旨の相談をしに本社へ向かいました。

具体的に話した内容については次のとおり。

体調について

休職前は頭痛で眠れない日が続き、そのせいで日中は頭がぼーっとしたり、ストレスでつまらないことにも過剰にイライラすることもありました。

今では激しい頭痛に襲われることもなくなり、不眠の症状も解消されました。

以前は心療内科で入眠薬を処方されていましたが、薬がなくても寝つきがよくなったことを伝えました。

上司も睡眠が十分にとれていないことを心配していたようで、不眠が解消されたことにホッとした様子でした。

また、日中に服用している薬についても報告しました。

現在は、憂鬱な気分や不安な気持ちを落ち着ける薬をしばらく服用していることを伝えました。

1月から会社に復帰できたとしても、症状がぶり返す可能性も捨てきれないため、心療内科への通院を続けながら復帰したいことを伝えました。

上司もその点については快く理解してくれたので、復帰に向けて少しだけ不安が軽くなりました。

精神面について

以前より表情が明るくなってきたこと、ありもしない不安や心配に押しつぶされてしまうことが減ってきたことを伝えました。

ただ、依然として感情のコントロールがうまくできない部分があること、気持ちと体が追いつかなくてゆっくりでしか話すことができないことについても伝えました。

面談当日も、久しぶりの会社への緊張感や、復帰についてきちんと相談できるかという不安が起因したのか涙が溢れてきてしまい、たどたどしい会話になってしまいました。

面談直前までは「絶対に泣かない」と決めていたものの、会社に足を踏み入れた途端に「こんな自分で大丈夫だろうか」とふと思ってしまったせいで、『絶対、大丈夫!』という気持ちが崩れてしまいました。

年末で忙しいのに自分のために時間を割いてくれた上司に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そんな様子をみて上司は「もう1ヶ月休職してから復帰しても大丈夫だよ?」と声をかけてくれました。

そう問いかけられ迷いが生まれましたが、断固として拒否しました。

理由は、働けない状態が続くことに大きな不安があったから

会社への復帰を考えはじめてから、他の同僚ががんばって働いている中、自分だけ家にいて何もできないことに強い恐怖を抱くようになりました。

就職せず働かないニートとは違い、自分には働ける場所があることにありがたみや感謝の気持ちが生まれました。

せっかく新卒で入社した会社と、病気を理由に縁を切りたくない。

また以前のように、笑顔で働ける自分に戻りたい。

ゆっくりでも働きたいと正直に伝えたところ、上司からの理解も得られることができました。

1ヶ月前までは、もう2度と働けないかもしれない不安がありました。

でも、少しでも「治したい」「働きたい」という気持ちが生まれたことで、自発的に気分を上げることをしたり、やりたいことに一生懸命取り組む意欲が少しずつわいてきました。

今よりたくさん迷惑をかけるかもしれないけれど、自分なりにがんばって働いていきたいことを伝えることができてよかったです。

復帰の計画について

とりあえず、しばらくは時短勤務で働くことが決定しました。

また、はじめの2〜3週間は心と体のリハビリも兼ねて、1日置きに出勤することになりました。

ですが、2020年1月から会社への復帰が決まったものの、さすがに年明けから「さあ働いて」というわけにはいきません。

年明けは会社も取引先への対応などで忙しく、サポートの時間がなかなかとれないかもしれないと告げられました。

個人的にも、年明け早々の満員電車はつらいだろうし、復帰の計画をより具体的に決めていきたい思いがありました。

そこで、年明け1週間後にもう一度面談を行うことになりました。

その面談までに会社のほうで少しずつ復帰ができる作業環境を整えておくとのことです。

わたしの「復帰したい」の一言で会社側をさらに忙しくさせてしまい、申し訳ない気持ちと情けない思いでいっぱいでした。

でも、自分の中では復帰することに迷いはありません。

また笑顔で働ける自分を取り戻せるように、ゆっくりでもいいから前に進みたい。

今回の面談で復帰の目処が立ったことで、これまで心の中に溜まっていたモヤモヤが晴れていく気がしました。

まとめ

2ヶ月の休職期間を経て、復帰したいと正直に伝えることができ、ホッとしました。

また、帰る際に笑顔を見せられたことで以前よりも格段によくなってきている実感を得ることができました。

ですが、まだまだ感情のコントロールがうまくいかないことや久しぶりの会社だったこともあり、面談中に涙を流してしまったのが心残りになりました。

次の面談までに泣かずに明るく振るまえるよう、笑って話せる時間を増やしていくのが年明けまでの目標です。

 

適応障害で休職するまでの自分は、何かに取り組む前から「大丈夫かな?」「できるかな?」と心配ばかりして、なかなか最初の一歩を踏み出せずにいました。

休職してからというもの、自分の欠点や弱い部分を毎日嫌というほど思い知らされました。

時には何もできない自分が嫌いになり、今すぐ死んで楽になりたいとさえ思ったこともありました。

それでも、人生でやりたいことがたくさん見つかり、自分の力で夢を叶えていきたい気持ちが強くなっていきました。

やりたいことを一つ一つ叶えていくために、会社への復帰をはじめの一歩にしたい。

今の自分がやるべきことは何か?

失ってしまった自信と笑顔を取り戻せるように、復帰までに残された時間を自分のために使うこと。

ただ、焦っても仕方がないし、かといってダラダラと過ごしていてはいけない。

のんびり穏やかな気持ちを大切にしながら、家の手伝いを積極的にしたり、目の前のことを一生懸命やって、ポジティブパワーをためることに集中したいと思います。

【適応障害で休職14】次のステップに進みたいー5回目の心療内科に行ってきました。ー

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こんにちは。marina*(@NMarina422)です。

先日、5回目の心療内科に行ってきました。

前回の診断では、体調もだいぶ良くなり、寝る前に飲んでいた漢方薬をやめる決断をしました。

また、寝る前にもう一つ飲んでいる錠剤の薬については、自分なりに飲む回数を徐々に減らしていく意向になりました。

 ▼詳しくはこちら▼

www.marina422.com 

その診断から数日後。

それまで抱いていた仕事やこれからの人生に関する心情に変化が出始めました。

「精神的・体力的・社会的にも豊かに生きていきたい」という思いが強くなるとともに、仕事に戻ることを怖がったまま治るのをのんびり待っていることに危機感を抱きはじめました。

また、適応障害になったことを理由に衝動的に退職しても、かねてからやりたかったことも失敗に終わってしまえば、今よりさらに症状が悪くなってしまうと思うようになりました。

適応障害「うつ」と隣り合わせの病気だと言われています。

やっと不安や憂鬱にとらわれる時間が減ってきて明るく物事を考えられるようになったのに、ここへきて「退職」が原因で新たな悩みや不安が生まれてしまえば、本当に後戻りできない状態(うつ)になりかねないと判断しました。

そんな思いや考えと向き合った結果、2020年の1月から仕事へ復帰することを決意しました。

▼詳しくはこちら▼

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今回は、その決断をしてからの体調や精神面での変化についてご報告です。

体の調子は?

睡眠の質も以前より良くなりました。

最近ではニンテンドーSwitchのリングフィットアドベンチャーで体を動かすのを習慣にしています。(2019/12/10でレベル114まで進められています)

もともと体を動かすのは苦手なほうなのですが、アドベンチャーモードで敵を倒すのがいいストレス発散になっています。

敵を倒すのに夢中になれますし、単純にレベルが上がっていくのが嬉しくてたまりません。

そろそろアドベンチャーの内容も佳境になってきたので、復帰前にクリアできたらいいなと思いつつ進めています。

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また、前回の診断で寝る前の漢方薬をやめることになり、錠剤の薬を自分で調整して飲んでもよいことになりました。

いつまでも薬に頼りっきりなのもいかがなものかと思いましたし、復職に向けて薬の量を減らしたいと思ったからです。(本音を言えば、薬の代金を節約したかった)

前回の診断から数日間は様子見ということで、一日置きに飲んでみることにしました。

ですが、4日ほど経過してから薬を飲んでいなくても自然な睡魔がやってくるようになり、以降は薬を飲むのをやめました。

やめてすぐの頃は「薬なくても寝れるかな?」と心配になることもありましたが、そんな心配はすぐになくなりました。

日中に自主的にブログを書いたり体を動かすようになったおかげで、寝る時間になると体が自然と睡眠を求める状態になってきた気がします。

残った薬については、いざという時に自由に飲んでもよいとの許可をいただきました。

復帰したはいいものの、緊張感からまた眠れなくなってしまったという事態も十分考えられるので、そういった時に飲めるよう大切に保管しておこうと思います。

薬の効果について

現在、服用しているのは2つの薬。

気持ちを落ちつかせ、不安や憂鬱な気分を和らげる薬が2種類。

一つは、朝夕の食後に飲む錠剤タイプのもの。

もう一つは、朝食後に飲むカプセルタイプのもの。

寝る前の薬が必要なくなったので、上記2つまで量を減らすことができました。

一番大きな変化は、休職したてのころと比べて顔色がとてもよくなったこと。

1ヶ月前までは泣いてばかりいたせいで、水に濡れてふにゃふにゃになったアンパンマンのような顔になっていました。

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出典:https://www.twipu.com/ichikiyuko/tweet/1163603306259763200

でも、仕事へ復帰したいという意欲や、これからの自分の未来を明るく切り開いていきたいという思いが生まれたことで、顔つきや考え方がプラスの方向に向かっていきました。

一方で、いまだに『薬を飲んでいる』という行為がきっかけで安心感を得ている部分もあります。

そうなってしまうと、いつまで経っても薬に依存した状態になってしまいます。

わたしは休職前に頭痛薬に依存していた時期があり、中毒寸前にまでなった経験があります。

中毒状態になると、たとえ自制心があっても用法容量を守って飲めない状態になってしまい、薬もまったく効かず苦しむハメになります。

それだけは避けたかったため、日中の薬の量を減らせないか相談してみました。

その結果、今回の診断から朝夕の錠剤タイプの薬の量を調整してもよいことになりました。

例えば、現在は朝夕の食後に飲んでいますが、朝or夜だけ飲むのをやめる。

それに慣れてきたら、一日飲まない日をはさむ。

日中の薬の量を減らすのは前回からの目標だったので、目標達成です。

こちらも寝る前の薬と同様、次回の診断までに薬が余ったら、復帰後に突然不安感に襲われた時に飲んでもよいとの許可をいただきました。

薬との上手な付き合い方も、病気を克服するために必要なステップだと思います。

まだまだ薬なしで過ごせるようになるには努力が必要だと思いますが、無理せずゆっくり治していこうと思います。

精神面について

前回と比べて、格段によくなりました。

朝目覚めた時に「今日がやってきてしまった…」と絶望感に襲われなくなりました。

どうしても不安に思ってしまう時は、布団の中で「大丈夫。わたしはできる」と声に出してから起きるようにしています。

同時に、口角を上げて笑顔の練習をするようにしています。

そうするようになってから、不思議と不安に思う時間が大幅に減りました。

また、1ヶ月前までは笑えない状態にまでなっていたのですが、最近は大好きなラジオ番組を聞いている時に「ふふっ…^^*」と笑えるようになりました。

ただ、それでも完全によくなったわけではなく、仕事への復帰を決意したことで多少の不安が生まれることがあります。

そういった時は母に話を聞いてもらい、「何が起きても大丈夫だ」と思うようにしています。

「2ヶ月も休職して本当にやっていけるのだろうか?」とか「事情を知らない人から迷惑がられたらどうしよう」とか思うこともあります。

でも、不安なことを少しでも考えてしまうと、その不安パワーが風船のようにどんどん膨らんでいってしまいます。

せっかく前に進める準備ができたのだから、勇気を出して一歩を踏み出したい。

その思いを無駄にしないためにも「自分なら大丈夫だ」と強く信じられるようにしたり、いい笑顔で笑えるようになる練習をしたり、今の自分ができることを一生懸命やりたいと思います。

まとめ

 大きな変化として、不安や悩みを溜めこむことがなくなりました。

不安に思うことは誰かに相談する、積極的に体を動かす、きちんと3食たべる、笑う練習をする…

ひとつひとつは些細なことで大したことではありません。

でも、適応障害になる前は「なんとか目の前の仕事を片付けなきゃ」と躍起になっていて、当たり前のことが当たり前のようにできなくなっていました。

もともと生真面目な性格のせいで、なんでもかんでも完璧にこなそうとしていました。

周りと比べて技術力が足りないことで「人より無理してでも頑張らないといけない」と勝手に思い込んでいました。

だから、仕事中に息抜きの時間は昼休憩以外に一切とらなかったし、自分の力量以外の仕事も当然のように引き受けていました。

その結果、心も体もボロボロになり、適応障害を発症してしまいました。

休職してから2ヶ月。

適応障害という病気を通して、完璧にやろうとしなくていい、息抜きする勇気が大切だということに気づきました。

今だからこそ言えることは、わたしは適応障害になるべくしてなったのではないかと思います。

生真面目な性格が危険に転じることを気づかせてくれました。

人の期待に無理して答えようとしなくていいことに気づかせてくれました。

できないことは「できない」とはっきり言ってもいいことに気づかせてくれました。

人目を気にしないで息抜きする勇気が必要であることに気づかせてくれました。

 

初めての心療内科適応障害と診断された時は、自分の不甲斐なさや情けなさでいっぱいいっぱいでした。

現場の人たちにたくさん迷惑をかけることに申し訳なさを感じていました。

今では、そんな思いもふっとびました。

自分が急にいなくなっても、仕事はきちんと回っていく。

そう思えるようになってから、とてつもなく心が軽くなりました。

仕事復帰に向けた今の目標は、以下のとおり。

ステップ1:会社と時短勤務、勤務曜日の相談をする
ステップ2:時短勤務でも息抜きしながら仕事をこなす
ステップ3:自分ではできないことは正直に「できません」と言う
ステップ4:時短でできた時間を利用して自分のやりたいことを進める

2019年中の目標は、ステップ1を達成すること。

そして、年明けから前向きな気持ちで仕事に復帰できるよう、復帰までにできることややりたいことに時間を費やしていきたいと思います。

【適応障害で休職13】仕事への復帰を決意しました。ー「やりたいこと」への地盤づくりのためにー

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こんにちは。marina*(@NMarina422)です。

2019年の10月に適応障害と診断されてから約2ヶ月が経ちました。 

www.marina422.com

当初は1ヶ月休職→復帰の予定でしたが、精神的な不安がなかなか解消せず、結局さらに1ヶ月休職することになりました。

それから数週間の間、今の仕事ややりたいことについて、たくさん考えることができました。

そして、2019年の1月から仕事へ復帰することを決意しました。

今回は決意するまでの経緯と、これからどう働いていきたいかについて書きたいと思います。 

決意までの経緯

休職して間もないころは、会社を今すぐ辞めたくて辞めたくて仕方ありませんでした。

仕事や上司のことを考えるたびに毎朝、毎晩泣いていました。

頭や心の中がごちゃごちゃになってしまったので、辞めたいと思ってしまった理由について考えたこともありました。

www.marina422.com新卒で入社して約1年半が経ったころに「こんなはずじゃなかった」と思うことが多くなりました。

平日は、毎日同じ時間の電車に乗り、1日の大半を会社で過ごし、帰宅したら晩ご飯を食べてお風呂に入って寝る。

週末は、お弁当の作り置きを作るための買い物と料理に費やしていました。

たまに友達や家族と出かけても、日曜の夕方になれば気持ちを「仕事モード」へと切り替え、次の日の服や身支度の準備、いつもより早く寝ることに必死でした。

自分のやりたいことを考える時間などなく「この生活が何年も続くんだろうなあ…」と思うのが当たり前になっていました。

 

休職してからは、いろんなことを考えることができました。

人生でやりたいこと。

人生でやりたくないこと。

自分の病気のこと。

これからどういったマインドで働いていきたいか。

働いていた時には考えられなかったことややりたかったことが目に見えるようになり、自分の本音に気づくことができました。

同時に、自分のやりたいこととやりたくないことを通じて、楽しみながら働くための方法を模索するようになりました。

でも、今の状態でやりたいことに打ち込んでも、仮にうまくいかなかった時に症状が悪化してしまうのではないかと考えました。

適応障害「うつ」と隣り合わせの病気です。

今は適応障害で済んでいても、症状が悪化すれば「うつ」になってしまい、本当にとり返しのつかないことになってしまいます。

 

そこで、まずは職場に復帰して症状の回復を目指すことにしました。

まだまだ精神的に不安定な状態なのでフルでの復帰は難しいですが、自分のペースで仕事ができるように会社と相談をしていこうと思っています。

また、仕事にいけない日は無理しない程度に、自分のやりたいことへの地盤づくりのための作業に集中することに決めました。

「自分のために働く」を実現するために

今の会社に入社が決まってからは、すぐに家に帰って母に「内定でたよ!」と報告しました。

母は笑顔で「おめでとう」と言ってくれて、わたしと一緒に喜んでくれました。

同時に「これで母を安心させることができる」という思いでいっぱいになりました。

入社して働くようになってからは、毎日がものすごいスピードで過ぎ去っていき「ああ、もう給料日か」と思いながら働いていました。

給料日がやってくる度に、わたしは喜びました。

お金が手に入ったことはもちろんですが、このお金で母に恩返しができることに大きな喜びを感じていました。

これまで自分を育ててくれたお礼として、給料日がくるたびに母にお金を渡していました。

わたしが交通事故やガンなどにならない限り、間違いなく母はわたしより先に亡くなります。

その時がくるまでに、必ず母に「もうmarina*は1人でも大丈夫ね」と言ってくれることに必死になっていました。

 

でも、休職して働けなくなってから、その考えが間違いだったことに気づきました。

 今までのわたしは「自分のために働いていた」のではなく「母のために働いていた」ことに気づきました。

自分のやりたいことや幸せは二の次で、母の安心を優先していたのです。

誰でも家族を幸せにしたい、という思いはあると思います。

ましてや自分を産んで必死に育ててくれた母には、その思いも強くなることでしょう。

でも、今の自分が幸せに感じられていないのに、誰かを幸せにすることは難しいです

不安や悩みに押しつぶされて心に余裕のない人間が、目の前で泣いている人を元気づけられるでしょうか?

犠牲なき献身こそ真の奉仕

フローレンス・ナイチンゲール

「クリミアの天使」とも呼ばれた偉人ナイチンゲールの言葉です。

自分を幸せにできていないのに誰かのために働いても、相手には何も与えることができません。

わたしの場合、仕事のプレッシャーや持病のストレスを我慢した結果、適応障害で休職することになり、働けない状態になってしまいました。

その結果、母にたくさん心配や迷惑をかけることになり、毎月のお礼もできなくなってしまいました。

母を幸せにするためには、自分で病気が治ると信じること。

母を幸せにするためには、自分が楽しんで仕事をすること。

母を幸せにするためには、まず自分を幸せにすること。

働けなくなった状態になって、やっと気づくことができました。

「自分のために働く」ことが、結果として母への幸せにつながる。

そう思えるようになってから、不思議と病気になったことを後悔することがなくなりました。

復帰してどうしていきたい?

先述のとおり、まずは会社に復帰して、少しづつ以前のように働ける状態を取り戻していきたいと思います。

やっと回復した状態が悪化しないよう、自分の体調と精神状態の様子を見つつ働けないか会社と相談することが次回の面談での目標です。

同時に、会社で体調を慣らしている期間はやりたいことへの地盤づくりにあてていこうと思います。

www.marina422.com

 人生でやりたいことリスト100をもとに、自分が楽しく働いていく方法を確立していこうと思います。

思い切って今の仕事をやめようか考えたこともありました。

ですが、新卒で入ってまだ約2年しか経っていないことと、病気を理由にいきなり辞めてしまうことにもったいなさを感じるようになりました。

今の会社に入ったのも何かの縁。

病気になってしまったのも何かの縁。

自分のやりたいことが分かったことで、今の状況を好転させてやろうと強気になることができました。

まずは会社との相談を前向きに進むための一歩にしたいと思います。

まとめ

休職したてのころは「もう治らないかもしれない」「これからどうやって生きていけばいいんだろう」という不安でいっぱいでした。

毎朝、目覚めるたびに涙で布団をビショビショにしていました。

毎日泣いてばかりいたせいで、ふと自分の顔を鏡で見てみたら、まるで水に濡れた時のアンパンマンのような表情になっていました。

でも、こうしてブログを通して考えをまとめたり、自分の本音と向き合う時間ができたおかげで、これから具体的にどう動けば自分の幸せにつながるのかが少しずつ分かってきたように感じられます。

最近では、テレビをみたりラジオを聞いたりしておもしろかった時には、少しずつ笑えるようになりました。

まだまだ本調子ではなく、体がだるかったり、言葉を紡ぐことが難しいときもあります。

少しずつ、自分の体と心と相談しながら前に進んでいきたいと思います。

履歴書でアピールできる!Googleデジタルワークショップで認定証を取得しました!

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最終試験に合格すると取得できる認定証


こんにちは。marina*(@NMarina422)です。

先日、Googleのデジタルワークショップの認定証をゲットしました!

今回は、デジタルワークショップとは?についてと、実際に学習してみた感想などを書いていきたいと思います。

Googleデジタルワークショップとは?

Googleのデジタルワークショップとは、Googleが無償で提供しているオンライン学習サービスです。

デジタルマーケティング(インターネットをビジネスに活用する方法)に関する内容を、誰でも簡単に学習することができます。

そして、すべての講座を修了し、最終試験に合格するとGoogle公認の認定証を手に入れることができます。

また、この認定証は履歴書にも書くことができるので、面接で何かアピールしたいと考えている人におすすめです。

learndigital.withgoogle.com

学習方法は?

学習方法はとっても簡単です。

STEP1.ログインする

Googleアカウント、もしくはメールアドレスでログインします。

STEP2.レッスンを受ける

ログインが完了すると、すぐに学習を開始することができます。

ワークショップには全部で15コースがありますが、認定証が取得できるコースは「デジタルマーケティングの基礎」コースになります。

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「デジタルマーケティングの基礎」コースでは、全26個の講座(モジュール)を7つのテーマに沿って学習を進めていきます。

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基本的な学習の手順は「動画を見る→確認テストを受ける」のくり返しです。

およそ10〜20分の動画を見て内容を理解し、「理解度をチェックする」ボタン押下で確認テストを行います。

難易度はそれほど難しくありません。

インターネットの知識がない人でも理解しやすいように解説してくれるので、無理なく進めることができます。

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全ての確認テストが終わった後は章末問題を受けることができ、合格するとバッジを取得することができます。

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  講座が終わるごとにダッシュボードに取得したバッジが増えていくのが嬉しいですね。

全26個のバッジを取得すると、最終試験を受けることができます。

最終試験は全40問で、80%(32問)以上で合格となります。

もし合格できなかったとしても9時間経てば再試験を受けることができるので、何度でも挑戦することができます。

※ちなみに最終試験が不合格だった場合、自分が間違えた問題を知ることはできません。その代わり、テーマごとに「〇問中◯問正解」の表示があるので、どのテーマが苦手なのかを把握することができます。

やってみた感想

とにかく確認テストや最終試験に制限時間や試験期間などが設けられていないのがよかったです。自分のペースで無理なく進められるので、誰でも簡単に挑戦できるのが最大のメリットだと思います。

また、学習内容に関しては、デジタルマーケティングに必要な知識と活かし方の基本を学ぶ構成となっているので、講座内で実践的な学習を行うことはありません。

ですが、自作のサイトやブログのアクセスを伸ばしたいと考えている人や、オンラインビジネスの収益を上げたいと考えている人に役に立つ知識を学ぶことができるので、そういった目標がある人に役立つ内容が多く扱われていると感じられました。

また、サイトを作ったばかりの人やGoogleのサービス(サーチコンソール、アナリティクス、アドセンスなど)を活用したことがない初心者向けに、それぞれのサービスの使い方と効果について学ぶことができるので、ネットビジネスの入り口として活用するのも良いと思いました。

おすすめの学習方法

ここでは、わたしが実際に行っていた学習方法について紹介します。

勉強時間が取れない方や忙しい人におすすめです。

①動画は2倍速で見る 

学習の手順は「動画を見る→確認テストを受ける」が基本ですが、動画をじっくり見ることができない人は2倍速で見るのがおすすめです。

動画の内容は、基本的に進行役の女性or男性が解説するシーン+テーマに沿った図解だけです。

最悪、動画をじっくり見ていなくても内容が理解できていれば確認テストは合格できるので、手取り早く学習を進めていきたい人にはおすすめです。

②「説明を表示する」で内容を理解する

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「説明を表示する」クリックで動画内容の解説が表示される。

動画下部には「説明を表示する」ボタンがあります。

これをクリックすると、動画内での解説がテキストベースで表示されます。

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動画を見なくても学習することができる。

なので、おすすめの学習手順としては以下のとおりです。

  1. 動画を2倍速で見て内容をさらう
  2. 説明文を理解しながら内容の肉付けをおこなう

忙しい人や集中力が続かない人は、これでかなり効率的に学習を進められると思います。

まとめ

Googleのデジタルワークショップは、職業や学歴、年齢を問わず誰でも簡単に受けることができるサービスです。

先述のとおりインターネットやオンラインビジネス初心者の人をターゲットにしているので、「デジタルマーケティングに興味がある」「自分のサイトを上位表示させたい」「オンラインビジネスを活用してみたい」という方におすすめできるプログラムだと思います。

はじめは「26個も学習しなきゃいけないの…?」と尻込みしていましが、学習を初めてみると「あれ?意外とカンタン!」と感じられ、どんどん学習を進めることができました。

最終試験は復習が足りなかったせいか「あと3問で合格だったのに!」ということが何度がありましたが、無事に合格することができました。

ブログのSEOアクセス解析に関する知識をたくさん学ぶことができたので、学んだ内容をブログ運営に役立てていけるよう努めたいと思います^^

▼デジタルワークショップへのアクセスはこちらから▼

learndigital.withgoogle.com

【適応障害で休職12】薬に頼りっきりな日々を脱したいー4回目の心療内科に行ってきました。ー

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こんにちは。marina*(@NMarina422)です。

先日、4回目の心療内科に行ってきました。

前回の診断では、体調はよくなったものの感情のコントロールができないこと(とつぜん涙が出てしまう、強い不安感に襲われる、憂鬱な気分に苛まれるなど)を理由に、会社への復帰を1ヶ月延期することになりました。

 ▼詳しくはこちら▼

www.marina422.com

その後、会社との2回目の面談を行いました。

面談(というより相談)の結果、今の精神状態で復帰は難しいため、年末まで休職することに決まりました。

▼詳しくはこちら▼

www.marina422.com

 会社との面談が無事に終わったことで、気持ちに少し安心感が生まれました。

今回は、それから1週間が経過してからの体調や精神面での変化についてです。

体の調子は?

休職前に悩まされていた激しい頭痛もなくなり、睡眠の質も以前より良くなりました。

また、持病の側弯症による腰痛や背骨の痛みも以前より気にならなくなるレベルにまで回復しました。

最近は、ニンテンドーSwitchのリングフィットアドベンチャーで積極的に体を動かすようにしています。

これなら家の中でも楽しみながら運動ができますし、何よりボスや敵と戦うことに夢中になれるんですよね。

おかげで仕事のことや不安なことを考える時間が減ったので、いいストレス発散になっています^^

また、運動で血流がよくなったおかげで、肩こりや腰痛が軽くなった実感があります。

煮詰まっていた作業ややろうと思っていたことにも「今ならできるかも!」と前向きに考えられるようになったので、やっぱり運動って必要なんだなあと思いました。

運動不足な方やストレス発散をしたい人にはとってもおすすめです^^*

薬の効果について

前回まで服用していたのは4つの薬。

気持ちを落ちつかせ、不安や憂鬱な気分を和らげる薬が2種類。

寝つきをよくする薬と、精神的不安に効果がある漢方薬の2種類。

薬のおかげか、日中はやりたかったことや作業に対して前向きに取り組める時間が増えました。

体を動かしたり、読書に夢中になる時間を増やしたことの効果もあるかと思いますが、以前と比べて体のだるさや憂鬱な気分になる時間が劇的に減りました。

また、睡眠 に関しても寝つきがよくなったことに加えて、目覚めたときの強烈な不安感に襲われる感覚が和らぐようになりました。

そこで、思い切って今回から寝る前の漢方薬をやめてみることにしてみました。

今までは「薬があるからよく眠れるはず」と思い込んで眠りにつくことが習慣化していました。

でも、睡眠の質がよくなっていくにしたがって「いつまでも薬に頼りっきりになるのもいかがなものか?」と思うようになりました。

このまま薬を飲んでから眠りにつくのが当たり前になってしまうと、これから先も薬が手放せなくなるのではないか?と感じたのです。

そのため、今回の診断で思いきって薬を減らせるかどうか相談してみました。

その結果、以下のような診断を受けました。

  • 今回から漢方薬をやめて寝る前の薬は1種類にする
  • 寝る前の薬は「今日は薬がなくても眠れそうだな」と思えるのであれば飲まなくても問題なし
  • ただし、寝る前以外の薬は毎日欠かさず飲み続けること

担当医の先生によれば、薬との付き合い方も症状を改善していくことに大きく関わるとのこと。

その準備段階として、今回から寝る前の薬を意識的に減らしていくことにしました。

薬に頼りきっていると、いずれは依存の関係になってしまいますし、何より「自分は病気なんだ」という意識から強くなり脱せなくなってしまうのではないかと思います。

また、2週間に1回のペースで通院しているので、毎回、薬の金額もバカにならないんですよね…

 次の診断までには、日中に服用している薬の種類や量も減らせるようになりたいです。 

精神面について

前回までは、ありもしない不安な気持ちが心や脳内をぐるぐると渦巻いていて、ひとりで涙を流す日々を送っていました。

「やりたいことができなくて悲しいなあ」

「元気になれなかったらどうしよう」

「このまま働けなかったらどうしよう」

そんな不安が自分の周りを取り囲んで、まるで沼の底にずるずると引きずり込まれそうな感覚でした。

ですが、会社との面談を終えてから、このままではいつまでたっても元気になれないし、人生でやりたいことにも挑戦できずにどうしようもなくなってしまうと感じるようになりました。

そこで、今まで感じていた不安や悩みの数々を、思いきって母の前でぶちまけてみました。

今の仕事を辞めたいと思っていること。

病気が治らなかったらどうしようという不安。

これからの人生で叶えていきたいことへの悩み。

思いつく全ての不安や悩みを正直に話しました。

母は、最初こそびっくりした顔をしていましたが、何も言わずわたしの話をずっと聞いてくれました。

悩みをすべて話し終わると、母は「やっと自分で話せるようになったじゃない」と励ましてくれました。

母いわく、休職してから口数も減り、笑わなくなってしまったわたしが心配で仕方なかったそうです。

 たしかに、休職してからというもの自分から家族に話しかけたり、テレビやドラマなどを見ても笑うことが少なくなっていました。

ですが、思いきって母の前で不安をぶちまけたことで、なんとなく心の中の引っかかりがなくなったように感じられました。

やはり、気分が落ち込んでいる時こそ、信頼できる人と会話をした方がいいことに気づきました。

それからというもの、不安や気になることがあった時に母に話しかけるようにしたことで、以前より負の感情に襲われることが少なくなりました。

まだまだ天気や気温差によって落ち込んでしまうことがありますが、焦らず少しずつできることを増やしていきたいと思います。

まとめ

 以前は、不安や悩みを溜め込んで「どうしたらこの状態から抜け出せるんだろう?」「なんで自分は病気になってしまったんだろう?」と無意識に自分を追い込んでばかりで、誰にも迷惑をかけまいと相談することをためらっていました。

ですが、思いきって母に今まで悩んでいたことを話せたことで、自分の弱い部分を知ることができ、同時に「弱い自分でもいいんだ」と今の自分を認めることができました。

ときどき「わたしの適応障害って、いつ治るんだろう?」と考えることがあります。

もしかしたら、一生治らない病気になるのかもしれません。

でも、最近は「そんなこと考えていてもしょうがないなあ」という気持ちの方が強くなりつつあります。

適応障害の症状は、6ヶ月以上つづくと「うつ」になってしまうそうです。

担当医の先生からその話を聞いたとき、最初は「どうしよう」と思いました。

でも、今の自分は「ブログを書きたいなあ」と思ったときに書けているし、「読書をしたいなあ」と思ったときに本を読めている。

日が経つにつれて「今の自分なら大丈夫だ」という気持ちが芽生えつつあります。

今の状態が良くなっていくか悪くなっていくかは自分次第。

焦らずゆっくり、自分のペースで元気な自分を取り戻していきたいと思います。