【適応障害で休職1】心療内科に行くのを決意するまで
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こんにちは。marina*(@NMarina422)です。
これから複数回にわたって、私が適応障害と診断され休職にいたるまでについてお話していきます。
今回は、私が心療内科に行くまでの経緯について振り返りたいと思います。
当初の心境をうまく言葉に落としこめない部分もあり、読み苦しい部分もあるかと思いますが、
どうかお付き合いいただけると嬉しいです。
わたしが文系SEになるまで
私の現在の仕事はSE(システムエンジニア)。
いろんな企業に出向いてWebシステムの設計や開発、テストなどを行います。
いわゆる派遣SEです。
さらに、私は文系出身なので理系出身の人より知識や技術も未熟です。
仕事をしながら他の人より何倍もITやプログラミング言語について勉強しないといけません。
そもそも、なぜ文系の私がSEの就職を決めたのか?
きっかけはとても単純。
手に職をつけたかったことと、 単に今の職場しか内定をもらえなかったから。
文系の学生にとって就活は地獄でした。
私には人が驚くようなセンスや実績、才能など何ひとつありませんでした。
大学1、2年生までは、周りに流されるまま卒業に必要な単位をとるために授業に参加し、
サークルには入らず大学で紹介されたバイトにいくだけの日々を送っていました。
3年生になると、就職に関する必修授業が増えはじめました。
ビジネスマナーや自己分析、履歴書の書き方、就活のメイク術などの講座を受け、
何としても就職を成功させるための方法を詰め込まされました。
当時の私は授業を受けながら「そんなに会社に雇われるのが偉いことなのか?」と疑問に思っていました。
実績もないただの文系女子が就職なんて本当にできるのか?
そんな不安が日につれて増していき、あっという間に4年生の春を迎えました。
そして、ついに始まった就職活動。
結果はボロボロでした。
行く先々の企業から「お祈りメール」が送られ、7月までひとつも内定が出ませんでした。
さすがにこのままではまずいと思ったので、大学から就活エージェントを紹介してもらいました。
そして、エージェント側から紹介された企業と面接を受け、2017年の8月31日に初内定が出ました。
その内定先が現在の会社。
内定が出た当初は、
「ITのことは全然分からないけれど、とにかく文系で未経験でも手に職がつけられる会社なら何でもいい!」と思い、
すぐにその会社への就職を決めました。(今思うと単純を通りこして本当に馬鹿な決断をしたと思います)
激しい頭痛に悩まされる
そして今の会社に就職し、研修を経て現場での仕事にも慣れてきたある日のこと。
終わらない設計書の作成やシステムの開発による連日の残業が原因か、激しい頭痛が襲ってきました。
朝から晩までパソコンとにらめっこの毎日なので、いつもの眼精疲労だと思い、市販の頭痛薬を飲みました。
これで治まればよかったのですが、まったく治まらず。
日が経つにつれて痛みは増していき、薬の服用回数も増えていきました。
そんな日が2、3日続いたころ、このままでは中毒になってしまうと思い、頭痛薬を飲むのを一旦やめました。
当然ながら薬を飲んでいないので頭痛はまったく治まりません。
眠れない日が続く
激しい頭痛に見舞われながらも、仕事には行かなければなりませんでした。
関わっていた案件のスケジュールが大幅に遅れていたからです。
「これ以上遅れをとって周りに迷惑をかけてはいけない」と自分に言い聞かせつつ、
人より圧倒的に少ない知識と技術をひねり出し、分からない部分は先輩社員に聞きながらなんとか仕事を進めました。
スケジュールに追われる日々と激しい頭痛。
これに呼応するかのように、なかなか眠れない日も増えていきました。
体は休みたいと訴えているのに寝付けない、明日も朝早いのに眠れないということほど不安なことはありませんでした。
食欲がなくなる
激しい頭痛と不眠によるストレスが溜まってきたころ、少しずつ食事の量も減り、
きちんとした食事は夜しか食べないという日が続きました。
しかし、それも長くは続かず、以下のような食事になっていきました。
- 朝食:固形物を食べたくない(牛乳だけ飲む)
- 昼食:食べずに寝る(眠れないので机に突っ伏しているだけ)
- 晩飯:味噌汁だけ
実家暮らしなので母が毎日晩ご飯を用意してくれていましたが、食欲がないので「せめて汁物だけでも…」と思い食べていました。
今思えば、毎日晩ご飯を作って遅くまで帰りを待ってくれていた母には申し訳ない思いでいっぱいです。
涙がとまらなくなる
技術不足なことでどんどん遅れていく仕事。先輩に分からないことを質問しようにも先輩自身もスケジュールに追われているため、
どうにかして自分ひとりで仕事をこなしていくしかありません。
そんな無力な自分が情けなくなり、極度の不安感と苛立ちが募ってきました。
それに加えて身体的なストレスが積み重なり、とうとう自分の体が悲鳴を上げました。
突然パソコンの画面が涙でぼやけ始め、手足が震えだしました。
なんとか誰かに見られまいと涙をぬぐいましたが、まったく止まる気配がありません。
こうなると、もうどうしようもないと思い、目の前に座っている上司に気づかれる前に急いでトイレにかけ込みました。
ハンカチで鼻と口を押さえこみ、誰にも気づかれないように嗚咽を押しころして泣きました。
20分くらい経っても涙が止まらず、このまま逃げてしまいたい思いでいっぱいでしたが、
なんとか動転した気持ちを落ち着かせ、涙と赤くなった鼻がおさまってからデスクに戻りました。
この日(2019/10/12 金曜日)は台風19号が接近していたため早めに仕事を切り上げ、逃げるように帰宅しました。
その後は【土、日、月】と3連休だったため、ゆっくり体と気持ちを落ち着けようと思いました。
が、この連休中はずっと泣きっぱなしで全く休んだ気になりませんでした。
心療内科に行くことを決意
慢性的な頭痛、食欲不振、眠ってもなかなか取れない疲労感と倦怠感。
そして、心と頭の中にぽっかりと穴が空いたような感覚。
なんだか気持ちがふわふわして、本当に自分の足で立てているのか不安でした。
ここまで来ると自分ではもうコントロールできません。 どうにもできない無力感とイライラがごちゃ混ぜになり、まるで糸の切れた人形のように体が動かなくなりました。
このままの体調と心境では仕事にいけないと思い、ついに心療内科へ行くことを決めました。
実際の心療内科での診断の流れや適応障害と診断されてからの日々については、次の機会に書こうと思います。
ではまた。