わたしの抱えている「側弯症」という持病について語りたい。【後編】
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前回のあらすじ
中学2年の春。
わたしは突発性の側弯症と診断された。
「自分の力で病気を治したい。」
そう思ってコルセットによる矯正治療を選んだが、この治療が辛く苦しいものであることを思い知ることとなったのだった。
***
コルセットをつけ始めてから数日。
コルセットを毎日着用しなければならないということは、当然ながら学校にもつけて行かなければならない。
そう考えた途端、いろんな悩みが押し寄せた。
まず悩まされたのがスカート丈。
コルセットを着用してスカートをはくと、コルセットによって腰の位置が少し上になるので、当然ながらスカート丈は膝より上になってしまう。
ミニスカ状態になってしまうのだ。
幸い、コルセットの件は担任の先生に説明していたため、生活指導などで引っかかることはなかった。
が、そううまく解決する問題ではなかった。
所属していた吹奏楽部の先輩たちに、わたしはスカート丈に対して注意を受けた。
「ねえ、スカート短いんじゃない?」
「後輩なのに先輩よりスカート短いってどういうこと?」
「生意気なんじゃない?」
わたしは思い切ってコルセットの件を説明しようと思ったが、そんな勇気も出せず、ただ「すみません」
としか言えなかった。
勇気を出せなかった自分がとても情けなくて仕方がなかった。
コルセットによる弊害はこれだけではなかった。
それが、体育の時間。
さすがにコルセットを着用したままでは十分に体を動かすことができない。
そのため、体育の時間になるとコルセットを外すために保健室で着替えていた。
一日の中で唯一、コルセットから解放される時間だった。
だが、その解放感と引き換えにさらなる悩みに襲われた。
コルセットを外したにも関わらず、背骨と腰が痛くて思うように体を動かせないのだ。
おそらく、背骨が元の位置に戻ろうとする反動で、ほかの骨にも影響が出ていたからだろう。
体が満足に動かせないことで、周りにたくさん迷惑をかけた。
ソフトボールの練習でチーム戦になった時は最悪だった。
きちんと相手にボールを投げられない。
満足にバットを触れない。
ボールもすぐに取れない。
あまりにもできないことが多すぎて、クラスメイトから陰口を言われることも少なくなかった。
それからというもの、わたしにとって体育の授業は地獄の時間にしか感じられなかった。
季節が変わり、夏がやってきた。
コルセットをつけ始めて約3ヶ月。
悪夢は突然訪れた。
ある熱帯夜の日。胸に突然、激痛が走った。
コルセットの中心にある金具が肋骨を圧迫していたのだ。
胸が苦しい。呼吸ができない。背骨が痛い。
結局、その日は苦しさに耐えきれずコルセットを外し、眠りについたのだが、朝になっても痛みが和らぐことはなかった。
次の日の朝。
自分の体を鏡で見てみると、上半身がコルセットの圧迫でできたミミズ腫れで真っ赤になっていた。
こんなに痛くて辛くて苦しい思いをしてまで治さないといけないなんて…
そう思った瞬間、床に転がっていたコルセットが、ただの拘束具にしか見えなくなった。
そして、その日からわたしはコルセットをつけるのをぱったりとやめてしまった。
コルセットによる苦痛な日々から逃げはじめたのだ。
これまで毎日欠かさずコルセットをつけていたが、外していることがバレないよう、普段はめったに誰も開けない押し入れの中にコルセットを隠した。
家族と出かける時は、出かける寸前までコルセットをつけておき、みんなが外に出たタイミングを見計らってコルセットを外した。
コルセットを外してからは、それは解放感に満ちあふれていた。
スカート丈を気にしなくていい。
もう着替えるために保健室に行かなくていい。
痛みに耐えながら眠らなくていい。
背骨の痛みは若干残っていたが、その痛みと引き換えに普段の日常が取り戻せたことが嬉しくてたまらなかった。
だが、その喜びはすぐに過ぎ去った。
1ヶ月後、母にコルセットを外していることがバレた。
すぐさま病院に行き、母は先生にこのことを報告した。
わたしは初めて診断を受けた時と同じように、ただ黙っているしかなかった。
そして、先生の口から思いがけない言葉を浴びせられた。
「このまま悪化すると、将来ひとりで歩けなくなるよ?呼吸もできなくなるよ?」
もう返す言葉すら思いつかなかった。
やはり母からは手術を勧められたが、断固として断った。
診察室には、しばらく沈黙が続いた。
しばらくして、先生がいくつか提案をした。
先生の提案は次の通り。
- 学校へ行くときはコルセットをしなくていい。
- 土日などの日中、家にいる時はコルセットをすること。
- 寝るときは無理してつけなくていい。
とにかく、コルセットによるストレスを減らすための提案をしてもらった。
それなら続けられる。
幸い、この頃から症状の悪化も少しずつ止まりはじめていた。
その診断を受けてから、家にいる時はなるべくコルセットをつけるようにした。
コルセットのことを気にしないで過ごせるのがたまらなく嬉しかった。
それでも、たまにサボってつけない日もあった。
母から「コルセットしないと治らないよ!」と怒鳴られ、思わず「一度もこの苦しみを経験したことない人がそんなこと言わないでよ!」と言い返したこともあった。
今思えば、わたしの病気を一番気にしてくれていたのは母だった。
わたしのことを誰よりも思っていたからこそ、思い切って叱ってくれたのだろう。
それから約2年後の高校1年生の夏。
いつもの病院での診断に変化が訪れた。
症状の悪化が止まったという。
背骨の位置は元には戻っていないが、十分に改善の余地はあるという。
そして、これからはコルセットなしで生活してもよいとのお達しを受けた。
わたしは晴れてコルセットとの生活を卒業することができたのだ。
でも、これで完全に安心できるわけではない。
気をつけていないと、また悪化するかもしれない。
これからは、病気と自分がどう向き合っていくかが重要だということ。
病気であることを恐れず、自分がやりたいと思ったことはとりあえずやってみよう。
その思った途端、悩んで苦しんでいた心が少し軽くなった気がした。
***
それから数年後の今。
背骨の位置はまだ元には戻っていない。
背中の出っ張りが気になって違和感を覚えることも多少ある。
でも、わたしはちゃんと自分の足で歩いているし、今を生きている。
わたしは手術からもコルセットからも逃げた。
それでも今、きちんと生きられてるのは本当にありがたいことだと思う。
そんな自分とは裏腹に、わたしよりも苦しんでいる人がいることも事実だ。
この記事をもとに、側湾症という病気について少しでも興味を持ってくれる人が増えてほしい。
側湾症の人は、なかなか見た目だけでは分からない。
わたしは学生のとき、側湾症の人のブログやTwitterを見つけようと必死に探した。
でも、なかなか見つけることはできなかった。
誰でも自分の病気について発信することは気が引けることだし、何よりも怖い。
こんなこと言ったら嫌われるんじゃないかって思う人もいる。
それでも、わたしは思い切って自分の病気について書くことを決めた。
ここまで書いた今、過去の自分より少しだけレベルアップしたんじゃないかと思えている。
もしも今、わたしと同じ側湾症やなにかの持病で悩んでいる人がいたら、勇気を出してその思いを何かにぶつけてみてほしい。
ブログでもいいしTwitterや日記、適当なメモに書きなぐるのもいい。
自分が病気によって何に悩んでるのか、何をつらいと感じているのか。
言葉で書き出すことで、ため込んでいた悩みや辛さが軽くなるかもしれない。
そして、少しずつ冷静になって、病気と向き合うことができるかもしれない。
つらい思いはひとりで抱えるより、誰かと共有していくことで安心感に変わります。
もし、これを読んでる人で持病で悩んでいる人がいたら、気軽にわたしに話しかけてほしいです。
病気の辛さを全て受け入れることは難しいかもしれないけれど、その気持ちを全力で受け止めてあげたいです。
思った以上に長くなりましたが、ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
もし共感してくれた方は感想やコメントをいただけるとわたしも励みになります。
これからも病気とうまく付き合いつつ、人生を楽しく生きていきます。